うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

気温と記憶

この季節になると毎年思い出す。

昔、といっても大学生の頃のはなし。

 

私は美術の大学に通っていました。森とくっついたような田舎の大学。

野生の猿はコンビニの袋をかっぱらっていくし、森で簡素な囲いだけで飼ってるシカはすぐ脱走する。なぜか敷地の中央には孔雀の檻があって、授業中にバカでかい鳴き声が響き渡る。

 

通っている学生もそんな生き物たちに負けず劣らず派手で個性的で。

絶滅したと思われるヒッピーも、町中では希少種のゴスロリも沢山いて。

 

登校すればどうやってやったのか校舎から校舎にかけて謎の布が張り巡らされていたり(インスタレーションとかいうやつ)、夕方になれば太鼓や笛やらをドンドコピーヒャラやりながら練り歩く集団が現れる(阿波踊り部とかいうやつ)。

森から切ってきた竹で流しそうめん会が開催されてた時もあったっけ。

 

私も当時はそんな大学に馴染むくらいの派手な格好で。オレンジのロングコートだけで3着持ってたし、色彩の暴力という名前をもらった事もあった。

制作に行き詰まったら友達と図書館で映画見たり森を散歩したりして。夏はほとんどなかったけど、冬は暗くなったらカセットコンロ出してきて外で鍋やって。いつの季節も安いウィスキーで手っ取り早く酔っぱらって。通りかかった教授もついでに巻き込んで。(当時は学内で飲酒しても良かった)

 

まあそんな大学での学祭は想像以上に派手で。鉄筋で組んだ建物が一気に立ち並び(純粋に流石としか言いようのない速さとクオリティで、多分素人が建てていい高さじゃなかった)、コスプレがうじゃうじゃ練り歩き、どこもかしこも音楽が鳴り響き、24時間制は廃止になっていたものの朝一番から全裸の酔っぱらいが踊っているような、そんな学祭。暗くなってからの青いビニールシートの中は要注意で、潰れた酔っぱらいか酔っぱらいの吐瀉物か、青姦バカップルが包まれている。最後のゲストは逮捕直前の田代まさしだったっけ。

 

帰り道に転がってる見知らぬ酔っぱらいはとりあえず拾って大学近くに下宿してる知り合いの家で大量の水を飲ませたりして。それなのに元気なバカたちはその横でまた更に飲んで。気がついたら夜明け。タバコの煙で真っ白な部屋。空き缶に突っ込まれ損ねた吸い殻がカーペットに焦げ付いていて、その上に転がったであろうバカの足はなぜか傷だらけ。化粧も何もかもボロボロのまま眩しい朝日を睨みつけてまた祭に出る。冷たい風に当たるとなぜか頭だけは冴えきって、また始まる三日間の死ぬ気の耐久レース。それが祭だった。

 

 

しかしある事件のあと、そんな学祭がなくなった。

正しく言えば、アルコールが学内全面禁止になった。それは学祭がなくなったのと同義だった。事件が直接それと直結している訳ではないという意見もあったが、ほぼ直結に近い話だった。

 

今から思えば時間の問題で、寒い田舎道で拾われなかった酔っぱらいたちは危険すぎた。

学内は禁酒を巡ってかなりの物議を醸した。酒がなければ祭じゃない。そう思う人間が相当数いた。祭に近い人間ほどそう思っている人間は多かったが、事件の事も良く知っていた彼らはアルコール禁止についてほとんど文句を言わなかった。言えなかった。

私は彼らよりは遠巻きに騒動を見ていたけれど、それでもあまりに近すぎた。

 

最終的に全面禁止になった翌年からの学祭は動員もかなり減り、コスプレ会場と化した。代々育て上げた学内に棲んでいた大きな魔物が、消えてなくなった。そうすべき方向に向かうことは何かにとっては成功だっただろうが、何かにとっては失敗だった。

事が起きてからではなにもかもが遅いのだ。何も返って来ない。

 

彼女は今でもこの季節になると「いつでも来てくださいよ、部屋やっと掃除したんで」と人懐こく笑う。繰り返し、繰り返し。何度も。

《10月企画バトン》 世話ばかりかけちまったな。

いやぁ、映画って本当に、素晴らしいですね。
どうもこんばんは、水野忠邦です。

 

さてさて先日までストレングス猿であった私めにも、
なにやら文章を書く順が回ってきたようですね。

 

さぁ〜〜てお題は何かね。
今の私は戸愚呂で言えば80%の出力。
本部以蔵で言えば宮本武蔵戦。
………既に出来上がっている……!!

 
いかに難解なお題目も、完璧なロジックにてさらりと捌く事が可能!!

 

米朝間の緊張状態を解く妙案はありますか!?』
そんなお題には手首を捻ってこう!!!
足を払いつつ腰を軸にこう!!!!
オーケー、捌ける。

 

『生命とは!?』

そんなお題には初弾を躱してこう!!!
左のカウンターからこう!!!!
オーケー、捌ける。

 

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 さあ来なさい!

 

 

 

 

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………?

 

 

…………あかり??

 

 

 

知り合いには、いないけど………。

 

 

 

あかりって????

 

 

 

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これはゆかり。

 

 

 

これは?

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そう、ご存知サトリ。

 

 

ではこれは?

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言わずもがな赤痢
(夏の季語だそうです)

 

 

 

あかり??

 

 

 

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おぉフ……
なるほど……

 

 

 

敵を知り 己を知れば百戦常にperfect body。
孫子にも書かれている。

委細承知した。

 

 

 

 

 

 

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 ……ァハァ〜〜ン、おなご達が麻雀🀄️を始めるアニメーションでござるな?

 

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このおなごがあかり殿でござるな。
やはり主人公との事なので、得意なアガり役は嶺上開花であろうな……

 

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…………………。

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…………………………………。

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………………………………………

 

 

 

 

 

 

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ッンフ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!

 

 

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………………。

 

 

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………………

おわっ………た………?

 

 

盛り上がりもギャグも、
タコスも麻雀牌も、豪運も轟盲牌を用いたドラ72も存在せずただただ終わった……
(牛は4匹増えた)

 


俺には……あかりの事ァ何一つわからなかった……

 

 

 

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                        -fin-

《10月企画バトン》電球色

おはようございます!

こんにちは!

おばんです!(こんばんはのこと)

 

老若男女知らないひととも気軽に挨拶を交わす田舎で育ちました。

 

幼い頃、近所に住まう大人の女性たちは主婦であることが多かったように思います。

夏には夕方6時冬には夕方5時を知らせる音楽が防災無線から流れる頃、小さな町は温かい夕飯の香りがしていました。

 

金曜の夜は母が換気扇の下で鼻歌を歌いながら(変なダンスも入る)、チョコレートを入れたりブルドッグソースを入れたりコーヒーを入れたり何やかんや入れるので毎週味が安定しないけれど美味しいカレーを煮込みます。

 

娘のわたしは友達と一緒にアリジゴクを掘っくり返したり山を走り回ったりその辺の綺麗な石をそっとポケットにしまったりして遊び疲れ、ご近所中の美味しい香りの中を家路につきます。

 

女性陣がおのおのルンルンしている頃、とにかく何でも分解するのが趣味だった弟は友達のラジコンをまたしても部品の山へと作り替えて怒られていたりします(これは後で大人が復元します)。

 

父は店を閉め、自宅へ向けてハンドルを握りFMラジオを付けます。1時間半の運転です。ラジオは途中で青森の放送局から岩手の放送局へと切り替わりラジオパーソナリティの方言も変わります。

 

4人揃えば夕食です。

何があっても夜は一緒に食卓を囲みました。

 

 

母はいつも柔らかい空気を纏っていました。

母が磨く家も同じ空気を纏っていました。

4人が住まうそこは訪れたひとが長居してしまう、自分の家のように落ち着く家でありました。

 

 

時代は変わります。環境も変わります。子どもは大人に向かい、大人も日々変わります。家族に1匹が加わることもあります。

その日、その年、その頃、丸くなったり尖ってみたりグニャグニャになったりする家族を老いながら包み続けたあの家はおん歳幾つなのか。

 

 

あの頃わたしたちは家族4人揃って食卓を囲みました。あの頃の記憶は温かみのある電球色に包まれています。

 

誰かが電球色にしてくれていたのでしょう。

父の厳格な父であろうとしたその意識かも知れないし、母の柔らかさの奥にある肝の座った強さかも知れないし、弟のナイーブを伴う自由さかも知れないし、私の、私のー、なにかなー笑

 

 

今これを読む貴方の家は建物ですか?街ですか?人ですか?ネットですか?自分自身ですか?

 

今これを読む貴方の家は何色を纏っていますか?

そこは暖かい?

香りはありますか?

みんなの記憶の中のあの時の家は何色?

 

 

頂いたお題は「家」でした。

まず思い出したのは一番温かい家の記憶。

でも建物以外でも家になり得ますよね。

 

いつか誰かの家になる時が来たら、いつか誰かの家を磨くときが来たら、帰りたいと思ってもらいたいものです。

 

なーんて。てやんでい。

 

そのためには〜〜〜ってのはまた別のお話し。てやんでい。

 

 

貴方の家があなたの望む家でありますように。

おやすみなさい!

 

お恋

ドレミの歌

ド~は「ドラゴン・タトゥーの女の」のド~

 

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レ~は「レオン」のレ~

 

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ミ~は「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」のミ~

 

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ファ~は「ファイナルデッドコースター」のファ~

 

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ソ~は「ゾンビランド」のソ~

 

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ラ~は「ランド・オブ・ザ・デッド」のラ~

 

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シ~は「ジュマンジ」のシ~

 

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以上、俺の好きな映画たちでした

 

 

アミーゴ銀三郎

 

 

7664日目が、おそらく今日だ。

 

 

よくもまあ生き延びてきちゃったな、とおもう。

去年の今頃はもう少し希望に満ち溢れていたんだけど、なんか改めて振り返るとクレイジー極まりない1年だったなということしか思い浮かばない。

しかもいまは全然そんな希望に満ち溢れてないのがウケる。言葉を選ばずにいうなら、もうチョー死にたい。45歳までなんて待てないよバカ!みたいな。

 

 

45という数字で人生に決着をつけたがるのは、恩師がその歳で死んで、彼女の死顔を目の当たりにしたその時にわたしの中でひとつ大きな目標が欠落してしまったからだ。

 

「彼女に会えない人生なんか生きたって仕方ないし、彼女より歳をとりたくなんかない、彼女より"先輩"になんかなりたくない」

と思いつづけて、もう5年経つ。

まだまだこれが根づよく残っているんだけど、でもよく考えるとあと23年しかないの?って気づいていつもため息がとまらない。

圧倒的に時間が過ぎるのが早い。もう早い。このままだと死んだ後で死んだことに気づきそうだ。

 

 

てなわけでこうしてブログも一年経とうとしています。わたしがお世話になるのと同じで、このブログもこんなにお世話になりました。

わたしは図々しい人間なので、「えっまだ隣いるの?」みたいな顔をされても隣にいます。

 

1年前、なんか面白いことしたいなつって勢いではじめて、勢いに勢いをプラスして、なんかとりあえず様子見つってtwitterアカウントも8月中旬に作ってみちゃったりして。

 

その時にこんなに書いてくれるひとが名乗りでてくれるとも思ってなかったし、こんなにアクセス数が増えるとも思ってませんでした。

こんな見切り発車の企画にみんなが面白がってくれて、正直にいえば自分より面白がっているみんなをみて、「あっこれ面白いものだったじゃん」って我にかえることが多かったです。

 

そしてそうやってわたしを引き戻してくれる役割を、このブログが果たしてくれていました。

結果として、twitterを辞められない理由になり、多くの新しい書き手さんに出会うことになり、まだそう簡単には死ねない理由のひとつになりました。

 

みなさんのおかげです、どうもありがとうございます。

まだまだ企画は続くし、まだまだ面白いことしていきたいので、つらいことや苦しいこと、楽しい日々や嬉しかった思い出を数える片手間に、どうかこのブログを見ていただけたら幸いです。

 

 

それではまた、一年よろしくお願いします。

 

 

透子

 

 

 

 

《10月企画バトン》「無限大な夢のあとの

何もない世の中じゃ」


これは私の好きな歌の歌詞の一部。

小さいときの私はこの曲が主題歌のアニメがすごく好きだった。

キャラクターのぬいぐるみは持っていたし、アニマックスで放送されていたものを録画して何度も何度も見た。

最終話の感動シーンはYouTubeで断片的に見るだけでも泣けてくる。(とても良いアニメなので興味がある方は「デジモン」で検索)


最近生きていると何度か遭遇する人生の岐路に再度立ち選択をした。

好きなものはあるけれどそれを職にする勇気はなかったし、自分の能力の無さのせいにしてそのための努力をしなかった。

とりあえず選んだ道ではあるけれどこれでよかったのか、私はこんな自分になりたかったのかを今死ぬほど考えている。


幼稚園生の時は「ピカチュウ」になりたかった。そう七夕の短冊に書かれていた。人ですらない、そもそも現実に存在しない。幼稚園児らしいクスッと笑える可愛らしい回答だ。

あと「お花屋さん」にもなりたかった。花はそこまで好きではなかったけれど大好きな祖母がお花が好きだったからだ。

小学生の時は「漫画家」になりたかった。漫画を読むのが好きだったからだ。絵を描くのも好きだった。

中学生の時は「通訳者」になりたかった。英語が好きで英会話が得意だったからだ。

高校生の時は「外交官」になりたいと思っていた。英語以外の外国語を勉強していたこともあって世界に興味があった。世界を股にかけて活躍する人に憧れていた。好きな英語を使えると言うのにも惹かれていた。もっといい世界にしたいだなんて考えてた。

大学生の今は特に何も考えてなかった。英語を勉強しているし好きだけれど自分よりできる人なんてたくさんいる。私には無理なんじゃないかって諦めて考えるのをやめた。ネームバリューがあるから、安定してそうだからとかそんなつまらない理由で将来を考えていた。


本気じゃないんだもん、そりゃ上手くいくわけないよな。「無限大な夢のあとの何もない世の中」を作ってしまったけど、何かをするのに遅すぎるなんてことはないよね。


「そうさ愛しい 想いも負けそうになるけど Stayしがちなイメージだらけの 頼りない翼でも きっと飛べるさ Oh My Love」


和田光司さんのButter-Flyでお送りしました。


よし!今日も元気に頑張っていきましょう!

《10月企画バトン》愛を込めて花束を




みなさん、秋の夜長にこんばんは♡


タイムラインに舞い降りた、プリティーキュートなツイガール☆ことあんしんちゃんです♡


今1番悩んでることは、明日かれぴっぴのお家にお泊まりするかどうかなの~♡




もう疲れたのでこのキャラやめますね。















改めましてこんばんは。

最近は愛する彼氏の影響で競馬に興味があるあんしんちゃんです。

これは函館競馬場で見た馬です。

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企画の最初の2人とは違い、騒がしくてすみません。この喧騒を例えるなら、湖のほとりで静かな水面を見ていたところ、隣で水切りを大騒ぎでし始めた小学生のような、ちょっと私も何言ってるのかわかんないんですけどそんな感じの喧騒でお届けしていきます。



さて、「うまくいえないひとたち」1周年おめでとうございます。面白い企画だなと思い、見始めてから早1年。知っている人たちばかりだったところから、今はFF外の存じ上げない方も多くいらっしゃり、1年前とはまた違った空気なのかなと感じています。私も最初の頃1つだけ記事を投稿させていただいたのですが、今読み返してみると酷い文章だし元彼の話出てきてるしで……なんていうか頭を抱えてしまいましたね。



昨年の記事で「誰かに努力を認めてもらわなくていい、自分がわかっていればいい。ただ褒めてもらえると嬉しいよね。」みたいなことを言っていたんですけど、今はこの真逆です。「何してても褒めてほしい!起きたら褒めてほしいし、課題が終わったら褒めてほしい!最終的には息をしてても褒めてほしい!!」って感じです。



きっと私は肯定を求めているんだと思います。



肯定感には、自身で得られる肯定感と、他者から与えられる刺激によって得られる肯定感の2種類があり、前者と後者は密接に関連していると私は思っています。


まあ要するに何が言いたいのかと言いますと、相手にプラスのストロークを与えていこうというわけです。私も肯定されたいし、きっと他の人も肯定されたいと願っていると思います。


愛を持って肯定的に他者と関わっていくことのできる人になれたらなぁと思います。




繁忙期の働かない頭でなんとかお題をねじ込みましたが、着地に失敗しましたねこれは。やばい。どやさ。この記事は来年また見て反省したいと思いま~~す!!!!どうもすみませんでした~~!!!!




彼氏に「愛」とは何かを聞いてみたので、その回答と共にお別れしましょう。










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以上です。大変申し訳ありませんでした。

企画してくださったとうこちゃん♡愛してます♡



あんしんちゃん

適切なフィクションに関する独り寝

 仕事がつらくて、苦しい。恋人と一緒に過ごす夜は、しずかであたたかく、やわらかい時間の手触りがある。愛している、というよりも先に朝が来て、もうひとりで玄関の扉をあけなくてはならない。そこには逃げ場所や逃げ道がなく、私はどうしようもなく不適切だ。

 不適切。適切な世界における自分自身のこと。他者はいつだって適切だ。

 彼が薬をODした。ごめんね、と私にさっと謝って、逃げ水のような声の響きだった。手首を切って泣いた母親の水にぬれた声とは違っていた。

 靴を脱ぎ捨てて、この適切な世界からはだしで走り出して逃げてしまいたい。何を求めるというのでもなく、あなたの愛に疲れたら、ひっそりと一人で眠るのもいいものだ。

《10月企画バトン》絵描きの幸福

 

 

 おちうること。あなたのまね。とべぬこと。飛び魚のはね。叫ばぬこと。ときのしらべ。ノートルダムの鐘。わたしのゆめ。赤い屋根。溶けだす殻。清らかな水。くぐりぬける木陰。わたしは、立っていた。濡れた土のつめたさと足の肌の熱さを感じて。わたしは、見ていた。苔がひをあびてよろこぶさまを。わたしは、むさぼっていた。わたしは、それを少しずつ、ゆっくりと。植物が花びらをひとつずつひらいて、それをつまびらかにするように。わたしも愛を噛まずに食んだ。

 

 鯨に鱗はあるの?鯨は哺乳類だからないよ。ねむりに暗闇はあるの?それは死だから暗闇はないよ。節度を保つこと。いいえ、私は傲慢なの。いっとう澄んだ水を汲んできて。降り止まぬ雨。飛べない翼。繰り返す声。わたしはいったいどこにいるの?わたしはいったいどこにいるの?あなたはそこ、ここ、赤い炎のなか。燃えている、あなたが燃えている。星が落ちてきた。空も落ちてきた。ああ、世界が反転する。回転する。落ちてくる、落ちてくる!

 

 うまく話せないから黙っていて、 黙っていてね。わたしの声に静寂が詰まってしまっても黙っていてね、静かにしていて。黒いトマト。世界はもうどこかへ行ってしまった。わたしは消えてゆく。消えてゆく。

 静かに、静かに。

 身を守るの。あの場所へ帰るのよ。ガラスのコップは落ちて砕けた。だめ、だめ。くるってゆくの世界は。くるってゆくの。あなたはあの森を歩いて、空が暗いことに気づくのよ。火を焚いたら獣がでるわ。あなたはその爪で深い傷を負うの。雨があなたを濡らして、熱を奪い去ってゆくわ。あなたはもうどこにも行けない。

 治る、治るの。

 もう一度、踏みつけたあの花びらを拾うのよ。さあ拾って。そう、抜け殻は捨ててしまって、また初めに戻ればいいの。滑らかな皮膚。あなたのもの。誰にも傷つけられないあなたの肌。石の花を溶かして、それを全部飲んでしまって。たったコップ一杯にしかならないわ。あなたの命はわたしのもの。涙はどこにも流れない。味覚を焦がしてしまえば、味なんてわからない。少し開いた戸に滑り込んで、わたしは、鍵をかける。あなたの首……

 あの猫にチョコレートをあげて。あだばなが咲いたわ。項垂れて眠る。夢を見た。首輪を盗む夢を。ガラスが割れる音がして目を覚ました。わたしの部屋には風が吹き込んでいた。西の窓も北の窓もこなごな。仕方のないことなんだわ。だってわたしのことだもの。たとえ部屋が燃えたって仕方ないわ。それに大丈夫。わたしは生きているんだもの。花にオレンジジュースをあげる。わたしがいちばんお気に入りのジュース。すこし高価だけどいいの。大切な花だから。これで一年中わたしの部屋は外の海に溶け込むことができる。お花ともお友達ね。せっかくだからどこかへ飛んでゆこうかしら。あっ、小さな燕が鳴いてる。

 スミレの歌声。陽炎の涙。アスファルトの怒り。蟻のよろこび。熊の昼寝。星の嘆き。わたしのただしさ。わたし紙飛行機にのってとっくにへ行ったら、もう帰ってこない。わたしがつけた肌の傷。それは徐々にあなたから消えてゆく。雲がそらを流れるやさしさで薄くなってゆく。浅い眠りがわたしをおだやかにしたの。この宝物を大切にして。あなたにあげるから。

 

 

 

 

 

 

《10月企画バトン》いつかのある日の記憶。

一定のリズムを刻むモーターの音を聞きながら、眠りに落ちた。その中で、珍しく夢を見た。
正確には、結婚していたときの記憶の欠片を夢という形で思い出したにすぎない。

 

―――

雨続きだった6月頃だったのだと思う。仕事を終えた私は、遅かったこともあり、外食でご飯を済ませ、帰り道に牛乳が無いことを思い出し、牛乳を買って帰った。

 

帰って冷蔵庫を開けると、無くなったはずの牛乳が。
先に家に着いた旦那が買ったようである。
しかし、どこに行ったのか、彼の姿は無かった。

 

…買ってくるなら、そう言ってくれればいいのにな。消費が大変じゃん…そして帰ってきたはずなのにどこ行ってるの……

 

そう思いながら、自分の買った牛乳を冷蔵庫にしまって、そのまま彼を待ちながらウトウトして寝落ちてしまった。

次に目が覚めたときには、彼は何か作業をしているようだった。見ると、タオルを畳んでいる。

 

私は牛乳を買うとの報告がなかったことを思い出し、彼に怒りをぶつけた。
「なんで牛乳買って帰るならそうやって連絡くれなかったの??買ってきちゃったじゃん!!」
「あ、ごめん、牛乳なら、ほら、すぐなくなるから…」
「もういい!!!!」
私は彼に当たるだけ当たって、独りで寝室に行き、不貞寝した。

 

こういう時、彼は私に何を言っても私が聞かないのを知っている。ただ、それが過ぎ去るのを黙って待っている。
私は私で、牛乳のことなんて、ほんとはどうでもいいのだ。
彼がどこに行っていたのかは、畳んでいるタオルを見ればわかる。
この雨続き、乾燥機機能の無い我が家の洗濯機。
普通なら畳んでいるタオルがみんなあんなにふかふかであるわけがないのだ。

 

無駄な心配や感謝は要らない、だから何も言わずに動く。それが彼の優しさであることを、私は充分に理解している。
ただ、結婚と言う枠の中の奥様という守られた立場で、素直にその優しさを享受できなかっただけだ。
教えてくれない、ということに対する怒りは、ゆくゆくはこっそり何かをするに違いない、という不安が生むものだった。
いつもそうやって、何も言わないで、こそこそ…

 

本当は、教えてくれなかったの?と言うよりも、ありがとう、が先立つはずなのに。そんなこと、考えなくてもわかることのはずなのに。

 

翌朝。前日に入り損ねたお風呂に入り、当たり前のように引き出しからタオルを取り出す。
昨日、彼が畳んでくれていたタオル。
「……昨日はごめん。」
それが、彼に甘えているがゆえの、意地っ張りで、なかなか聞き分けの無い私の、精一杯の言葉。
うまく言えない自分ゆえの、ぎこちない言葉。


―――

家の洗濯乾燥機のピー、ピー、という音で目が覚めた。
慌てて乾いた状態の洗濯物を取り出す。

 


彼がいつもこっそり行っていた近くのコインランドリーは、潰れて無くなってしまった。
無論、彼のお陰で一度も行かなかった私がそれを知ったのはかなり後の事だ。

 

離婚することが決まって家具を揃える際、洗濯機を買うときに彼が言った「乾燥機付きにしなよ」はこのためだと後でわかった。
そんな時でもなお、彼は優しかった。


彼のお陰で、雨続きでもコインランドリーに行かずに済んでいる。

だけど、本当は、一度くらい一緒に行こう、って言ってくれても良かったのにな。
届かない愚痴をこぼして、乾いた洗濯物を片付けた。

 

しぇり

9月29日


「やっぱりあのときに捨てちゃえばよかったね」と、冷蔵庫を覗きながらしかめっ面で言うあなたになんだか寂しくなって、その日は寝返りがやけに気になった。

お箸もお茶碗も、リモコンの位置も、煙草の吸い方も、不機嫌の直し方も、笑えるぐらいに簡単に馴染んでしまって、すぐ剥がれ落ちてしまいそうでくすぐったかった。

「いらっしゃい」と言ってあなたが迎えてくれてからいままでも、この部屋の居心地なんて微塵も良くないけれど、ここにいなければ、あなたから私は綺麗にいなくなってしまう気がした。

「あと一日ぐらいだいじょうぶだよ」と笑いながら答えたけれど、いつか捨てられてしまう私は他人事になんて思えず、本当は怖かった。

あなたに、どうしようもない私を、どうにも取れないぐらいにこびり付かせたいんだ。

要るか? | 仕事のはなし

チョリ~ッス、こんちわ。タマです。

前回書いたキッズ向けのような映画レビューの記事から、だいぶ日があいてしまいました。
このごろ仕事が落ち着いてきて暇なので、普段感じている仕事への葛藤を少し書きたいと思います。


私はデザイナーとして5年目になります。

一言でデザインといってもかなりの種類がありますが、現職場では主にものづくりに関わっています。種類で言えば”プロダクトデザイン”にあたります。
具体的には、普段皆さんが使っている雑貨類やインテリア、マウスやスマートフォン等々もこのプロダクトデザインに当てはまります。


私が関わっている製品は、完成して皆さんの目に触れるまでに、平均で2年かかります。
それまでにプロダクトデザイナー、作図者、製造業社や開発者、グラフィックデザイナー、印刷会社、広告会社、などなど様々な人が関わり、それぞれに試行錯誤があり苦悩の連発です。また、事前に市場調査をかけたとしても、2年かけた製品が売れるという保証はありません。
それでも自分が関わった製品が完成し、雑誌やWEB等で紹介されたりお客様に好評だったりすると凄く嬉しいし、やりがいのある仕事だなぁと実感します。


ただ、たまに仕事をしながら「こんなの、私たちデザイナーや企業のエゴでは」「そもそも、生産する必要性があるのか?」と思ってしまうのです。


ショッピング、楽しいですよね。
雑貨やインテリアを見るだけでも、大好きです。
でも、多すぎないか?圧倒的に物が多い。
食べ物と違って、平気で5年10年ともつものが多いのに、毎日生産されるプロダクトたち。

生産に関わりながら思ってしまうんです、「要るか?」と。

自己表現の”アート”とは真逆で、誰かに必要性があってこその”デザイン”であるはずなのに、「要るか?」って、デザイナーとしてどうなのよ。
私がまだまだ未熟なデザイナーだからこその葛藤かもしれません。

結論から言えば、人々がより快適な生活を送れるようになるために、デザインすることは辞めてはならないのですが、頭から離れない「要るか?」と言う3文字。


そんな葛藤と戦いながら、今日も生産に向けて仕事をしています。

 

理性と分別と感性

昨日大学で講義を受けていたんですけど、そこで聞いた内容がなんとなく印象に残っているので書き留めておきます。


その講義ではイギリスにおける「子ども」を巡る意識や生活文化、社会福祉のあり方について考察しています。


昨日は歴史とか公民とかで名前を聞いたことがあるであろうロックやルソーの子育て論の違いやロマン派の詩人や芸術家たちの「子ども時代」の捉え方について学びました。


ロックとルソーで考えた方が全く異なるので面白いなあなんて考えてました。


子ども時代は理性的で分別のある大人になるための準備期間であり教育を重要視していたロックに対して、理性や知性は生きていれば勝手についてしまうから変な知恵を持たずにあるがままでいられる子供時代を無邪気に過ごすべきだと考えるルソー


全く正反対でちょっと英仏を感じて笑っちゃったよね。

どっちの主張もめちゃくちゃわかるから子育てって本当に難しいんだろうななんて思いました。


私が一番引っかかったのはイギリスの詩人のウィリアム・ワーズワスの「大人になるにつれて感性は鈍くなる」「理性でしかモノを考えられない人は頭はいいが幸せな人ではない」 っていう考えなんですね。


つまらない人にならないために子ども時代のインスピレーションや記憶を大事にして心を解放することが大事だそう。

湖水地方で自然に囲まれて豊かな子ども時代を過ごしたからこその言葉って感じがしますね。


理性的であることは悪いことじゃないけどそれは面白いのか、幸せなのか。


理性的とは、面白いとは、幸せとは。


損得だけで考えて自分の気持ち我慢したりとかはしたくないななんて考えちゃうけどそうもいかないんだろうな。

感性だけでは生きていくのはとても難しいことだろうからね。

でもやっぱり気持ちとかそういう量的に計れないものは大事にしたいなって思っちゃう。


感性の豊かさの重要性を語っておきながらあれですけど自分は感性で生きすぎてるからもう少し理性的で分別のある人間になりたい…


オイ1年。焼きそばパン買ってこいよ。

Q. なんでパシリが買いに行かされるのは決まって焼きそばパンなの?なにか元ネタがあるんですか?

A. 銀魂の沖田ってキャラクターが元ネタだと思う。

 

こんなやり取りを見かけたことがあります。

おい、待てや1年。シャシャり出てきてパロディが売りの漫画を元ネタっつって吹聴するとはどういう了見だ。チッ……あー、腹減ったな。なぁ、焼きそばパン買ってこいよ。30秒以内に帰ってこなかったらおごりだからな。ギャハハ。

 

さて、パシリの子がいつから焼きそばパンを買いに走らされるようになったのか。

まだまだ若輩ゆえ確かなことは言えませんが、ビーバップハイスクールに代表されるような、短ランにボンタンでリーゼント的な昭和ヤンキー文化から残る伝統であることは間違いないでしょう。奇しくも1981年に始まったヤマザキ春のパン祭りと同時代から続いている、ヤンキー猿のパン祭りなのであります。

 

リテラシーという言葉について。原義は読み書きの能力ということだけど、現代の和製英語としては、分野ごとにどんどん深化していく様々な知識を把握し、場面に応じて言葉の意味を適切に理解する能力という感じでしょうか。

いや、堅いな。説明が堅い。「飲む打つ買うなんてもってのほか!貯金が趣味です!」ってプロフィール欄に書いてある公務員くらい堅いわ。

リテラシーという言葉の定義として、日常的、かつ個人的にしっくりくるのは「元ネタを知っていて話が通じる」というものです。

 

2000年代のインターネッツをサヴァイヴしてきたダイヤルアップ接続のピーガガガガガピーーーーな世代だから古い話を持ち出しちゃうんですが、「うそはうそであると見抜ける人でないと掲示板を使うのは難しい」っていう伝説的な格言も、単に書き込みの真偽を見極められないとダメっていう話ではなくて、ローカルの中だけで通じる冗談のコードをキチンと把握してから輪の中に入ってきなさいということだったのだと思っています。

ネットスラングの走りのひとつに「半年ROMれ」というのがあったのもそういうこと。この辺の話がまったく理解できないのであれば、今度は「ggrks」と言わざるを得ない。

 

最近いくつかのテレビ番組で、語尾に「ンゴ」をつけるのが若者の間で流行しているという話題が取り上げられているのを観ました。

当然その若者たちは、語尾に「ンゴ」を付ける元ネタを生み出した「なんJ民」という人たちのことなど全く知らずに、語源だとか用法だとか、そんなの何も関係なくその言葉を使ってコミュニケーションを楽しんでいる。

それ自体は問題ない。言葉はうつろうものだし、別に無知が悪だなんてことを言いたいわけではない。焼きそばパンの元ネタの件も然り。

一方で、本来の用法を知っている人が「そうじゃねぇんだよ。俺たちが面白がってたのをなんでそんな風にしちゃったんだ。残念だよ」という気持ちになるであろうことも確かだし、それを「心が狭い」とかそういう言葉で否定すべきでないとも思うんです。

 

コミュニケーションを上手に成立させたければ、そのコストを負担すべきなのは「知らない方」ではなく「知っている方」です。時代は「分かりやすさ」に完全敗北を喫していて、理解できないものを理解するためのコストを払おうとする人はどんどん減っていると思います。

それは近くにいない人とでもコミュニケーションをとれるようになったがゆえのこと。いくら遠くても、顔を知らなくても、自分にとって「わかる」人を選べばコミュニケーションのコストは最小限で済むのだから。

 当然「知っている方」の人たちも、同じ側の人とつるめばコストを負わなくていい。同じことになります。棲み分けが行われる。「格差が生まれる」とも言う。

 これでは誰の世界も広がっていかないですよね。知っている村には、知っていることしか起こらないんだ。

 

14歳の時に読んだ小説の中で、主人公の父親が「広い世界を見ろ。そして自分で決めろ」と言った。そのときに自分の中で雷が落ちた。そんな気がしたんです。

15年経って、住むべき村を見つけて、自分自身外に出るのがなかなか億劫になったけど、今後誰かの世界を広げてあげられる人間になっていくためには、まだまだ自分も村の外の世界を見なければならないと、そんなことを、最近、思うんです。

 

話がまとまらないっすね。すいませんパイセン。自分、焼きそばパン買ってきます。

 

ウッス。

 

ふわっふわの毛布 (@soft_blanket101)

モグラ

青からグレー。

モグラの目を「退化」とわたしたちは云います。

ならば、わたしはまいにち、かかさず「退化」しているね。ほんとうに、ほんとうのことは、わたしたちが見えている先にはなくて、それは立派な人間の、立派な「退化」だった。

やがて、オレンジに変わった。夜の大きさが変わった。そのうち、なにかがぼやけて見えにくくなっていく。

それが忘れるということだ。それが覚えるということだ。それを綺麗だと思った。馬鹿馬鹿しくも思えた。それでもなくしたくない、と泣いた。