うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

今年の誕生日プレゼントはもう決めてあるんだ

 

例年6月は知り合いの誕生日が集中しているため、必然的に5月からプレゼントの計画を練り始めるのが常となっている。

今年は3人にそれぞれ異なるプレゼントをあげたけど、内1人だけ微妙な反応をされたので、一瞬「誕生日プレゼントって買いなおすとかできるのかな」と焦った。

 

 

とまあ、それはそれとして。

他人のプレゼントを選んでいる時ほど、自分が真に欲しいものをいつもより見つけやすかったりして、途中から目的を見失いかけるくらいAmazon楽天の検索履歴が迷子になる。

 

そういや今年の自分への誕生日プレゼント何にしようかな、いやいつも自分を甘やかしてアクセサリーとか買ってるしな、とかだんだん誰かへ贈るプレゼントのことなんて頭から離れだした瞬間、あ、と声が出た。

 

 

「指環にすっか」

 

 

ちなみに今年、私のTLでは知り合いが何人か婚約したり、婚約したもの同士で同棲を始めたりと微笑ましくめでたいニュースがちらほら見かけられたが、私はそんなフラグは一ミリも立っていなかった。たまにさ、ああいうの見ると超焦るわけ。歳の近い人たちが分かりやすい幸せのレールに乗っていくのを見ると、祝福する気持ちは当然のように存在しているけど、自分がそうなるかといったら甚だ疑問しかなくて、「そのレールに乗りたいかどうかすらよくわからない」自分についてひどく不安になる。今訳あって好きな人と同居しているけど、結婚の話は以前持ち出したら曖昧な回答がきたので、それ以上求めることがよくないのかもしれないしなと反省して、とりあえず現状維持でこんな歳になっちゃった。オトコとかオンナとか関係ないってずっと思ってるけど、例えばわたしが子どもが欲しいとして、出産を基軸に人生のスケジュール感を考えたら結婚なんてするタイミングは自然と限られてくるのでは?と思う方が当たり前のように思うけど、『今は結婚したくない』『けど別れたくない』というオトコって、じゃあどういう幸福の姿形をイメージしてそう言っているのか、そしてそこに暗にオンナのライフスケジュールとしての結婚や出産のイベントごとは考慮されてないってことよね?とつい問い質したくなってしまう。実際には全然そんなことしない、問い質すなんてことはしないよ。オトコとかオンナとかはマジで実際どうでもよくて、お互いがお互いの幸福も苦しみも尊重できたらいいなと思ってるから、ある意味では別にわたしのことなんて考えなくていいなとも思う。恋の一つの通過点として結婚があってもいいけど、別にマストなイベントでもなんでもない。かといって結婚しているすべての知り合いを否定したいわけでもない。わかっている、そんな当たり前のことは。

 

 

でも、好きなひとと結婚してみたいというのは、ある時からのささやかな夢で、それがもう多分叶いっこないとうっすら分かり始めたのだ。空の雲行きがあやしくて、明日は曇りっぽいなって想像するように。何が食べたいかわからないままドラッグストアに行ってとにかく食べるものを買うんだけど、レジに並ぼうとしてる時点でこれは心の底から食べたいものじゃないんだよなと気づくのを恐れるように。

 

 

正直、結婚や婚約とかに夢を見すぎてるなとも思うんだけど、人間は自分ひとりで自分を幸せにすることができる人とそうでない人がいて、わたしは明らかに後者だったから。誰かといて幸福でいる気持ちや、誰かが喜ぶ姿をみて幸福に思えることや、そういうことがわたしにとってとても大事なことだった。だから結婚って自分には合ってるんじゃないかとずっと思っていた。

だけど、わたしは昔から「好きな人と結婚する」か「早く死ぬ」かの2択で生きていて、ここは基本的に歳をいくらとろうが変わりない。正直にいえばこんなに付き合っている期間がまあまあ長いのに、結婚のけの字もまともに考えられてなかったことにびっくりして、こんなに長い時間をかけた結果がこれならもうあとどのくらい待てばいいのかなあ、それなら待つより早く死ぬことにフォーカスして生きていった方が無駄ないかもなあ………と、他人の誕生日プレゼントを選んでる間に、なぜかこんなに思考が加速して飛躍して爆発してしまった。

 

 

なんで指環かっていうと、形だけでも幸福を示すような何かが欲しかったので。

ただこの指環は世界に一つしかなく、誰とも共有しないものであるためにオーダーメイドで知人にお願いした。「今年のわたしの誕生日まででいいので、指環って作れますか?」「いやもうデザインとかなんでもいい、形とかもそこまでちゃんと想像してない、好きにお願いします」「サイズ?測ったことないですねえ………」と最低な会話で受注をお願いしてしまった。ほんとごめんなさい。マジで。

 

 

 

付き合っている人がいてもひとはこんなに孤独を感じるんだとしみじみ思ったけど、わたしは誰の幸福も苦しみも否定したくはなくて、別にお付き合いしている人がわたしを最終的に選んでくれなくてもいいんだと思っている。みんながみんなの幸福を追い求めていいはずだから。だから、わたしは一人で生きて一人で頑張って死ぬんだぞっていう誓いをする必要があった。それがたとえお付き合いしている人に理解されない行為だったとしても、だ。

ってこの話すると、大抵の人が理解できないっぽいので口頭ではなるべく言わないようにしていたんだけど。自分にとって大事なことなので文字に残しました。見て嫌な気持ちになった人がいたら大変申し訳ない。

 

 

 

指環届いたら写真あげて記事また書こうかな。

よろしければ一緒に見てください。