うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

2018/01/01/11:58

 

 

2017年に片づけられなかったことがすべてやってくるのが2018年であって、結局仕切り直しとかできないじゃんか、ということになったのがいまです。

 

 

どうもおはようございます、管理人です。

 

 

 

2017年に記事一本あげようとしてたんですけどね、隣にいたひとがマイクラを勧めるものだからマイクラしながら年を越してしまいました。うそやんか。

 

 

 

同じことを何度も語ってしまうのは、それがその人にとってよほど印象的な出来事だったのだろう、ということだけはなんとなく信じていつもバーで接客をしているのですが、改めて何度でも読者さまや書き手さまに御礼を。

 

 

昨年の夏にプライベートのしちめんどくさい案件が片付いて、実家の自分の部屋の窓辺で窓を開けて夜の空気を吸いながら眠れないまま、面白いことしたいなとほんとうに突然思いついて、それに巻き込んだ方が最初は2名いました。

わたしは部活でレクリェーション係とかいうわけのわからない係の担当だったくせに、レクリェーションの才能が全くないという矛盾を抱えていて、それをいちばん手助けしてくださった方であることには間違いないのです。

お二方には感謝しても足りないです。いつもお世話になっています、ブログ以外の個人的な相談も何度したことか。ありがとうございます。

 

 

 

足りない言葉でいい、みんなの言葉でそれとなく語られるものにわたしは興味があって、読者の中のひとりくらいはこのブログにある記事の言葉にハッとさせられたひとがいると思います。予期せぬところから救いを得るのはいつも驚きがある分、噛みしめる喜びもひとしおだと思うんだけど。正直にいえば、就活中に何度もこのブログの記事をみては救われていました。結局就活で得たものを大事にして内定は蹴ってしまうことにしたけども、それでもあのつらい時期を乗り越えられたのはみなさんのいろんな類の言葉でした。ネタとして面白かったり、あるいは愛に満ち溢れていて、静かに語られてはいるけれどまっすぐ横たわった正論であったり、個人的な懺悔であったり、あるいは現実ではなく夢であったり、手紙だったり、思い出だったり。

 

 

ひとが、それぞれの文脈で生きてきて、それに即した言葉で語られるもの以上に価値の高いことなんてあるんだろうか、というとめちゃくちゃ言い過ぎなような気もするんだけど。でも間違ってないような気もします。

 

 

 

 

みなさんは2017年、このブログの記事を読むのを楽しんでもらえたでしょうか。

わたしはとても楽しかったです。

まだ楽しくやるつもりでいます。

まだたのしむつもりでいます。

またどうぞ、本年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

透子

(@hereIam397)