うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

《10月企画バトン》電球色

おはようございます!

こんにちは!

おばんです!(こんばんはのこと)

 

老若男女知らないひととも気軽に挨拶を交わす田舎で育ちました。

 

幼い頃、近所に住まう大人の女性たちは主婦であることが多かったように思います。

夏には夕方6時冬には夕方5時を知らせる音楽が防災無線から流れる頃、小さな町は温かい夕飯の香りがしていました。

 

金曜の夜は母が換気扇の下で鼻歌を歌いながら(変なダンスも入る)、チョコレートを入れたりブルドッグソースを入れたりコーヒーを入れたり何やかんや入れるので毎週味が安定しないけれど美味しいカレーを煮込みます。

 

娘のわたしは友達と一緒にアリジゴクを掘っくり返したり山を走り回ったりその辺の綺麗な石をそっとポケットにしまったりして遊び疲れ、ご近所中の美味しい香りの中を家路につきます。

 

女性陣がおのおのルンルンしている頃、とにかく何でも分解するのが趣味だった弟は友達のラジコンをまたしても部品の山へと作り替えて怒られていたりします(これは後で大人が復元します)。

 

父は店を閉め、自宅へ向けてハンドルを握りFMラジオを付けます。1時間半の運転です。ラジオは途中で青森の放送局から岩手の放送局へと切り替わりラジオパーソナリティの方言も変わります。

 

4人揃えば夕食です。

何があっても夜は一緒に食卓を囲みました。

 

 

母はいつも柔らかい空気を纏っていました。

母が磨く家も同じ空気を纏っていました。

4人が住まうそこは訪れたひとが長居してしまう、自分の家のように落ち着く家でありました。

 

 

時代は変わります。環境も変わります。子どもは大人に向かい、大人も日々変わります。家族に1匹が加わることもあります。

その日、その年、その頃、丸くなったり尖ってみたりグニャグニャになったりする家族を老いながら包み続けたあの家はおん歳幾つなのか。

 

 

あの頃わたしたちは家族4人揃って食卓を囲みました。あの頃の記憶は温かみのある電球色に包まれています。

 

誰かが電球色にしてくれていたのでしょう。

父の厳格な父であろうとしたその意識かも知れないし、母の柔らかさの奥にある肝の座った強さかも知れないし、弟のナイーブを伴う自由さかも知れないし、私の、私のー、なにかなー笑

 

 

今これを読む貴方の家は建物ですか?街ですか?人ですか?ネットですか?自分自身ですか?

 

今これを読む貴方の家は何色を纏っていますか?

そこは暖かい?

香りはありますか?

みんなの記憶の中のあの時の家は何色?

 

 

頂いたお題は「家」でした。

まず思い出したのは一番温かい家の記憶。

でも建物以外でも家になり得ますよね。

 

いつか誰かの家になる時が来たら、いつか誰かの家を磨くときが来たら、帰りたいと思ってもらいたいものです。

 

なーんて。てやんでい。

 

そのためには〜〜〜ってのはまた別のお話し。てやんでい。

 

 

貴方の家があなたの望む家でありますように。

おやすみなさい!

 

お恋