理性と分別と感性
昨日大学で講義を受けていたんですけど、そこで聞いた内容がなんとなく印象に残っているので書き留めておきます。
その講義ではイギリスにおける「子ども」を巡る意識や生活文化、社会福祉のあり方について考察しています。
昨日は歴史とか公民とかで名前を聞いたことがあるであろうロックやルソーの子育て論の違いやロマン派の詩人や芸術家たちの「子ども時代」の捉え方について学びました。
ロックとルソーで考えた方が全く異なるので面白いなあなんて考えてました。
子ども時代は理性的で分別のある大人になるための準備期間であり教育を重要視していたロックに対して、理性や知性は生きていれば勝手についてしまうから変な知恵を持たずにあるがままでいられる子供時代を無邪気に過ごすべきだと考えるルソー
全く正反対でちょっと英仏を感じて笑っちゃったよね。
どっちの主張もめちゃくちゃわかるから子育てって本当に難しいんだろうななんて思いました。
私が一番引っかかったのはイギリスの詩人のウィリアム・ワーズワスの「大人になるにつれて感性は鈍くなる」「理性でしかモノを考えられない人は頭はいいが幸せな人ではない」 っていう考えなんですね。
つまらない人にならないために子ども時代のインスピレーションや記憶を大事にして心を解放することが大事だそう。
湖水地方で自然に囲まれて豊かな子ども時代を過ごしたからこその言葉って感じがしますね。
理性的であることは悪いことじゃないけどそれは面白いのか、幸せなのか。
理性的とは、面白いとは、幸せとは。
損得だけで考えて自分の気持ち我慢したりとかはしたくないななんて考えちゃうけどそうもいかないんだろうな。
感性だけでは生きていくのはとても難しいことだろうからね。
でもやっぱり気持ちとかそういう量的に計れないものは大事にしたいなって思っちゃう。
感性の豊かさの重要性を語っておきながらあれですけど自分は感性で生きすぎてるからもう少し理性的で分別のある人間になりたい…