うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

《10月企画バトン》絵描きの幸福

 

 

 おちうること。あなたのまね。とべぬこと。飛び魚のはね。叫ばぬこと。ときのしらべ。ノートルダムの鐘。わたしのゆめ。赤い屋根。溶けだす殻。清らかな水。くぐりぬける木陰。わたしは、立っていた。濡れた土のつめたさと足の肌の熱さを感じて。わたしは、見ていた。苔がひをあびてよろこぶさまを。わたしは、むさぼっていた。わたしは、それを少しずつ、ゆっくりと。植物が花びらをひとつずつひらいて、それをつまびらかにするように。わたしも愛を噛まずに食んだ。

 

 鯨に鱗はあるの?鯨は哺乳類だからないよ。ねむりに暗闇はあるの?それは死だから暗闇はないよ。節度を保つこと。いいえ、私は傲慢なの。いっとう澄んだ水を汲んできて。降り止まぬ雨。飛べない翼。繰り返す声。わたしはいったいどこにいるの?わたしはいったいどこにいるの?あなたはそこ、ここ、赤い炎のなか。燃えている、あなたが燃えている。星が落ちてきた。空も落ちてきた。ああ、世界が反転する。回転する。落ちてくる、落ちてくる!

 

 うまく話せないから黙っていて、 黙っていてね。わたしの声に静寂が詰まってしまっても黙っていてね、静かにしていて。黒いトマト。世界はもうどこかへ行ってしまった。わたしは消えてゆく。消えてゆく。

 静かに、静かに。

 身を守るの。あの場所へ帰るのよ。ガラスのコップは落ちて砕けた。だめ、だめ。くるってゆくの世界は。くるってゆくの。あなたはあの森を歩いて、空が暗いことに気づくのよ。火を焚いたら獣がでるわ。あなたはその爪で深い傷を負うの。雨があなたを濡らして、熱を奪い去ってゆくわ。あなたはもうどこにも行けない。

 治る、治るの。

 もう一度、踏みつけたあの花びらを拾うのよ。さあ拾って。そう、抜け殻は捨ててしまって、また初めに戻ればいいの。滑らかな皮膚。あなたのもの。誰にも傷つけられないあなたの肌。石の花を溶かして、それを全部飲んでしまって。たったコップ一杯にしかならないわ。あなたの命はわたしのもの。涙はどこにも流れない。味覚を焦がしてしまえば、味なんてわからない。少し開いた戸に滑り込んで、わたしは、鍵をかける。あなたの首……

 あの猫にチョコレートをあげて。あだばなが咲いたわ。項垂れて眠る。夢を見た。首輪を盗む夢を。ガラスが割れる音がして目を覚ました。わたしの部屋には風が吹き込んでいた。西の窓も北の窓もこなごな。仕方のないことなんだわ。だってわたしのことだもの。たとえ部屋が燃えたって仕方ないわ。それに大丈夫。わたしは生きているんだもの。花にオレンジジュースをあげる。わたしがいちばんお気に入りのジュース。すこし高価だけどいいの。大切な花だから。これで一年中わたしの部屋は外の海に溶け込むことができる。お花ともお友達ね。せっかくだからどこかへ飛んでゆこうかしら。あっ、小さな燕が鳴いてる。

 スミレの歌声。陽炎の涙。アスファルトの怒り。蟻のよろこび。熊の昼寝。星の嘆き。わたしのただしさ。わたし紙飛行機にのってとっくにへ行ったら、もう帰ってこない。わたしがつけた肌の傷。それは徐々にあなたから消えてゆく。雲がそらを流れるやさしさで薄くなってゆく。浅い眠りがわたしをおだやかにしたの。この宝物を大切にして。あなたにあげるから。

 

 

 

 

 

 

《10月企画バトン》いつかのある日の記憶。

一定のリズムを刻むモーターの音を聞きながら、眠りに落ちた。その中で、珍しく夢を見た。
正確には、結婚していたときの記憶の欠片を夢という形で思い出したにすぎない。

 

―――

雨続きだった6月頃だったのだと思う。仕事を終えた私は、遅かったこともあり、外食でご飯を済ませ、帰り道に牛乳が無いことを思い出し、牛乳を買って帰った。

 

帰って冷蔵庫を開けると、無くなったはずの牛乳が。
先に家に着いた旦那が買ったようである。
しかし、どこに行ったのか、彼の姿は無かった。

 

…買ってくるなら、そう言ってくれればいいのにな。消費が大変じゃん…そして帰ってきたはずなのにどこ行ってるの……

 

そう思いながら、自分の買った牛乳を冷蔵庫にしまって、そのまま彼を待ちながらウトウトして寝落ちてしまった。

次に目が覚めたときには、彼は何か作業をしているようだった。見ると、タオルを畳んでいる。

 

私は牛乳を買うとの報告がなかったことを思い出し、彼に怒りをぶつけた。
「なんで牛乳買って帰るならそうやって連絡くれなかったの??買ってきちゃったじゃん!!」
「あ、ごめん、牛乳なら、ほら、すぐなくなるから…」
「もういい!!!!」
私は彼に当たるだけ当たって、独りで寝室に行き、不貞寝した。

 

こういう時、彼は私に何を言っても私が聞かないのを知っている。ただ、それが過ぎ去るのを黙って待っている。
私は私で、牛乳のことなんて、ほんとはどうでもいいのだ。
彼がどこに行っていたのかは、畳んでいるタオルを見ればわかる。
この雨続き、乾燥機機能の無い我が家の洗濯機。
普通なら畳んでいるタオルがみんなあんなにふかふかであるわけがないのだ。

 

無駄な心配や感謝は要らない、だから何も言わずに動く。それが彼の優しさであることを、私は充分に理解している。
ただ、結婚と言う枠の中の奥様という守られた立場で、素直にその優しさを享受できなかっただけだ。
教えてくれない、ということに対する怒りは、ゆくゆくはこっそり何かをするに違いない、という不安が生むものだった。
いつもそうやって、何も言わないで、こそこそ…

 

本当は、教えてくれなかったの?と言うよりも、ありがとう、が先立つはずなのに。そんなこと、考えなくてもわかることのはずなのに。

 

翌朝。前日に入り損ねたお風呂に入り、当たり前のように引き出しからタオルを取り出す。
昨日、彼が畳んでくれていたタオル。
「……昨日はごめん。」
それが、彼に甘えているがゆえの、意地っ張りで、なかなか聞き分けの無い私の、精一杯の言葉。
うまく言えない自分ゆえの、ぎこちない言葉。


―――

家の洗濯乾燥機のピー、ピー、という音で目が覚めた。
慌てて乾いた状態の洗濯物を取り出す。

 


彼がいつもこっそり行っていた近くのコインランドリーは、潰れて無くなってしまった。
無論、彼のお陰で一度も行かなかった私がそれを知ったのはかなり後の事だ。

 

離婚することが決まって家具を揃える際、洗濯機を買うときに彼が言った「乾燥機付きにしなよ」はこのためだと後でわかった。
そんな時でもなお、彼は優しかった。


彼のお陰で、雨続きでもコインランドリーに行かずに済んでいる。

だけど、本当は、一度くらい一緒に行こう、って言ってくれても良かったのにな。
届かない愚痴をこぼして、乾いた洗濯物を片付けた。

 

しぇり

9月29日


「やっぱりあのときに捨てちゃえばよかったね」と、冷蔵庫を覗きながらしかめっ面で言うあなたになんだか寂しくなって、その日は寝返りがやけに気になった。

お箸もお茶碗も、リモコンの位置も、煙草の吸い方も、不機嫌の直し方も、笑えるぐらいに簡単に馴染んでしまって、すぐ剥がれ落ちてしまいそうでくすぐったかった。

「いらっしゃい」と言ってあなたが迎えてくれてからいままでも、この部屋の居心地なんて微塵も良くないけれど、ここにいなければ、あなたから私は綺麗にいなくなってしまう気がした。

「あと一日ぐらいだいじょうぶだよ」と笑いながら答えたけれど、いつか捨てられてしまう私は他人事になんて思えず、本当は怖かった。

あなたに、どうしようもない私を、どうにも取れないぐらいにこびり付かせたいんだ。

要るか? | 仕事のはなし

チョリ~ッス、こんちわ。タマです。

前回書いたキッズ向けのような映画レビューの記事から、だいぶ日があいてしまいました。
このごろ仕事が落ち着いてきて暇なので、普段感じている仕事への葛藤を少し書きたいと思います。


私はデザイナーとして5年目になります。

一言でデザインといってもかなりの種類がありますが、現職場では主にものづくりに関わっています。種類で言えば”プロダクトデザイン”にあたります。
具体的には、普段皆さんが使っている雑貨類やインテリア、マウスやスマートフォン等々もこのプロダクトデザインに当てはまります。


私が関わっている製品は、完成して皆さんの目に触れるまでに、平均で2年かかります。
それまでにプロダクトデザイナー、作図者、製造業社や開発者、グラフィックデザイナー、印刷会社、広告会社、などなど様々な人が関わり、それぞれに試行錯誤があり苦悩の連発です。また、事前に市場調査をかけたとしても、2年かけた製品が売れるという保証はありません。
それでも自分が関わった製品が完成し、雑誌やWEB等で紹介されたりお客様に好評だったりすると凄く嬉しいし、やりがいのある仕事だなぁと実感します。


ただ、たまに仕事をしながら「こんなの、私たちデザイナーや企業のエゴでは」「そもそも、生産する必要性があるのか?」と思ってしまうのです。


ショッピング、楽しいですよね。
雑貨やインテリアを見るだけでも、大好きです。
でも、多すぎないか?圧倒的に物が多い。
食べ物と違って、平気で5年10年ともつものが多いのに、毎日生産されるプロダクトたち。

生産に関わりながら思ってしまうんです、「要るか?」と。

自己表現の”アート”とは真逆で、誰かに必要性があってこその”デザイン”であるはずなのに、「要るか?」って、デザイナーとしてどうなのよ。
私がまだまだ未熟なデザイナーだからこその葛藤かもしれません。

結論から言えば、人々がより快適な生活を送れるようになるために、デザインすることは辞めてはならないのですが、頭から離れない「要るか?」と言う3文字。


そんな葛藤と戦いながら、今日も生産に向けて仕事をしています。

 

理性と分別と感性

昨日大学で講義を受けていたんですけど、そこで聞いた内容がなんとなく印象に残っているので書き留めておきます。


その講義ではイギリスにおける「子ども」を巡る意識や生活文化、社会福祉のあり方について考察しています。


昨日は歴史とか公民とかで名前を聞いたことがあるであろうロックやルソーの子育て論の違いやロマン派の詩人や芸術家たちの「子ども時代」の捉え方について学びました。


ロックとルソーで考えた方が全く異なるので面白いなあなんて考えてました。


子ども時代は理性的で分別のある大人になるための準備期間であり教育を重要視していたロックに対して、理性や知性は生きていれば勝手についてしまうから変な知恵を持たずにあるがままでいられる子供時代を無邪気に過ごすべきだと考えるルソー


全く正反対でちょっと英仏を感じて笑っちゃったよね。

どっちの主張もめちゃくちゃわかるから子育てって本当に難しいんだろうななんて思いました。


私が一番引っかかったのはイギリスの詩人のウィリアム・ワーズワスの「大人になるにつれて感性は鈍くなる」「理性でしかモノを考えられない人は頭はいいが幸せな人ではない」 っていう考えなんですね。


つまらない人にならないために子ども時代のインスピレーションや記憶を大事にして心を解放することが大事だそう。

湖水地方で自然に囲まれて豊かな子ども時代を過ごしたからこその言葉って感じがしますね。


理性的であることは悪いことじゃないけどそれは面白いのか、幸せなのか。


理性的とは、面白いとは、幸せとは。


損得だけで考えて自分の気持ち我慢したりとかはしたくないななんて考えちゃうけどそうもいかないんだろうな。

感性だけでは生きていくのはとても難しいことだろうからね。

でもやっぱり気持ちとかそういう量的に計れないものは大事にしたいなって思っちゃう。


感性の豊かさの重要性を語っておきながらあれですけど自分は感性で生きすぎてるからもう少し理性的で分別のある人間になりたい…


オイ1年。焼きそばパン買ってこいよ。

Q. なんでパシリが買いに行かされるのは決まって焼きそばパンなの?なにか元ネタがあるんですか?

A. 銀魂の沖田ってキャラクターが元ネタだと思う。

 

こんなやり取りを見かけたことがあります。

おい、待てや1年。シャシャり出てきてパロディが売りの漫画を元ネタっつって吹聴するとはどういう了見だ。チッ……あー、腹減ったな。なぁ、焼きそばパン買ってこいよ。30秒以内に帰ってこなかったらおごりだからな。ギャハハ。

 

さて、パシリの子がいつから焼きそばパンを買いに走らされるようになったのか。

まだまだ若輩ゆえ確かなことは言えませんが、ビーバップハイスクールに代表されるような、短ランにボンタンでリーゼント的な昭和ヤンキー文化から残る伝統であることは間違いないでしょう。奇しくも1981年に始まったヤマザキ春のパン祭りと同時代から続いている、ヤンキー猿のパン祭りなのであります。

 

リテラシーという言葉について。原義は読み書きの能力ということだけど、現代の和製英語としては、分野ごとにどんどん深化していく様々な知識を把握し、場面に応じて言葉の意味を適切に理解する能力という感じでしょうか。

いや、堅いな。説明が堅い。「飲む打つ買うなんてもってのほか!貯金が趣味です!」ってプロフィール欄に書いてある公務員くらい堅いわ。

リテラシーという言葉の定義として、日常的、かつ個人的にしっくりくるのは「元ネタを知っていて話が通じる」というものです。

 

2000年代のインターネッツをサヴァイヴしてきたダイヤルアップ接続のピーガガガガガピーーーーな世代だから古い話を持ち出しちゃうんですが、「うそはうそであると見抜ける人でないと掲示板を使うのは難しい」っていう伝説的な格言も、単に書き込みの真偽を見極められないとダメっていう話ではなくて、ローカルの中だけで通じる冗談のコードをキチンと把握してから輪の中に入ってきなさいということだったのだと思っています。

ネットスラングの走りのひとつに「半年ROMれ」というのがあったのもそういうこと。この辺の話がまったく理解できないのであれば、今度は「ggrks」と言わざるを得ない。

 

最近いくつかのテレビ番組で、語尾に「ンゴ」をつけるのが若者の間で流行しているという話題が取り上げられているのを観ました。

当然その若者たちは、語尾に「ンゴ」を付ける元ネタを生み出した「なんJ民」という人たちのことなど全く知らずに、語源だとか用法だとか、そんなの何も関係なくその言葉を使ってコミュニケーションを楽しんでいる。

それ自体は問題ない。言葉はうつろうものだし、別に無知が悪だなんてことを言いたいわけではない。焼きそばパンの元ネタの件も然り。

一方で、本来の用法を知っている人が「そうじゃねぇんだよ。俺たちが面白がってたのをなんでそんな風にしちゃったんだ。残念だよ」という気持ちになるであろうことも確かだし、それを「心が狭い」とかそういう言葉で否定すべきでないとも思うんです。

 

コミュニケーションを上手に成立させたければ、そのコストを負担すべきなのは「知らない方」ではなく「知っている方」です。時代は「分かりやすさ」に完全敗北を喫していて、理解できないものを理解するためのコストを払おうとする人はどんどん減っていると思います。

それは近くにいない人とでもコミュニケーションをとれるようになったがゆえのこと。いくら遠くても、顔を知らなくても、自分にとって「わかる」人を選べばコミュニケーションのコストは最小限で済むのだから。

 当然「知っている方」の人たちも、同じ側の人とつるめばコストを負わなくていい。同じことになります。棲み分けが行われる。「格差が生まれる」とも言う。

 これでは誰の世界も広がっていかないですよね。知っている村には、知っていることしか起こらないんだ。

 

14歳の時に読んだ小説の中で、主人公の父親が「広い世界を見ろ。そして自分で決めろ」と言った。そのときに自分の中で雷が落ちた。そんな気がしたんです。

15年経って、住むべき村を見つけて、自分自身外に出るのがなかなか億劫になったけど、今後誰かの世界を広げてあげられる人間になっていくためには、まだまだ自分も村の外の世界を見なければならないと、そんなことを、最近、思うんです。

 

話がまとまらないっすね。すいませんパイセン。自分、焼きそばパン買ってきます。

 

ウッス。

 

ふわっふわの毛布 (@soft_blanket101)

モグラ

青からグレー。

モグラの目を「退化」とわたしたちは云います。

ならば、わたしはまいにち、かかさず「退化」しているね。ほんとうに、ほんとうのことは、わたしたちが見えている先にはなくて、それは立派な人間の、立派な「退化」だった。

やがて、オレンジに変わった。夜の大きさが変わった。そのうち、なにかがぼやけて見えにくくなっていく。

それが忘れるということだ。それが覚えるということだ。それを綺麗だと思った。馬鹿馬鹿しくも思えた。それでもなくしたくない、と泣いた。

ニュアンス

人と人との間のニュアンス。

 

その人とその人が互いを知りつつ各々過ごした時間、一緒に過ごした時間、ある時ある時交わした目配せ、感じた感覚、人知れず互いに向けた信頼、一緒に見つめた出来事、温度、交わした言葉の端々、声色。

 

その二人にしか分からないニュアンス。

 

友達でも夫婦でも恋人でも家族でも偶然同じものを見てきた見ず知らずの二人の間にもきっとあるでしょう、ニュアンス。

 

二人のことは二人にしか分からない。

 

 

 

 

 

お仕事サボってるお恋

「選択肢がある」ということ


「君には選択肢があっていいね」
「僕には始めから選択肢が無いから、自分の中で何とか昇華させるしかない」

君はそう宣う。
確かに。
けれど私には私なりの言い分がある。
それは、君の言う「私が持つ選択肢」とは、私の望まない選択肢だということだ。

「果たして、望まない選択肢があるということは、幸せなことか?」

望まない選択肢なら選ばなければいい。
私もそう思う。でも、選んでしまう。捨てられない。焦燥。寂寥。承認欲求。満たされなくても良いから、そういうもの全てから、私の両眼を覆って、何も感じないようにして欲しくて。
本当に欲しいものは違うのに。
だからいつも「望まない選択肢」を選択した後はやるせなくて、大人ぶっていてもどこかでボロが出る。君が思う程、私は大人ではないんだよ。ただ、欲しいものが手に入らなくて駄々を捏ねている子どもと同じなんだよ。
だから「望まない選択肢」を選ぶ私には、本当に欲しいものを「欲しい」と言う資格すら無いんだろう。

けれど本当に欲しいものは君だよ。
ここにだけ、こっそりと置いておく。


お目汚し失礼致しました。

【ゆる募】教えてください【だけど切実】

「痩せて綺麗系になって生活リズム正したら最強になれるよ、お前は」


それって私じゃなくないですか!!!



こんにちは、最近痩せて綺麗系になって生活リズム正したくて仕方ない系女子のかおるんです。

最近言われたこの言葉ですが、考えれば考えるほどどれも無理やわってなって最強になることを諦めつつある今日この頃です。


まあ痩せるのと綺麗系になるのはなかなか時間かかるけど生活リズムくらいならがんばれば直せるかなあと思いながら、気づいたら朝6時になっていてもう明るい中眠気と戦いながらこのエントリーを書いているわけですが。


どうしたら生活リズム正せるんですかね。

誰か方法知ってたら教えてください。

あといいダイエット法とオススメの綺麗系の洋服屋さんも。


なにはともあれ言葉とは呪いに似ていて。


ある人に言われた言葉がずっと私に鎖のように巻きついて離れずにあることって結構ありますよね

私は大事な人の言葉ほど重くなり錨のようにその場に私を縛り付けようとするので人と話すのが怖いです

かといって人と話すのをやめるとうさぎさんのように寂しがり屋な私は目を真っ赤にしてしまうのでバランスというか、なんなんでしょうね


昨日人と話してて気づいたのですが、私は構ってほしいときと放置しておいてほしい時の差がすごいようです。

それは近い間柄の人ほどすごくて、近ければ近いほど差が広がっていく気がしています。

気分屋なのか、近くなりすぎることに恐怖があるのか、はたまた違う理由なのか、その全てなのか、とにかく差がすごい。

こんなことじゃあ将来どこにいくことも何になることも出来ないなあとひとり寂しく朝を迎えています。


こうして大切な人がくれた言葉が錨になって私がどこへも行けないのでいろんな人が入れ代わり立ち代わりやってきて言葉をくれてそれを気分で放置してとかもっと構えとかいって生きていくの難しいなあと。

わがまま人間なのでこれからもこんな調子で生きていきながらどこかに落ち着く場所はあるのか探し続けるんだろうなあ。


本気でダイエット法と綺麗系の洋服屋さんと生活リズムの直し方募集してます。

気分で態度変えないので教えてください。

お願いします(土下座の勢い)


かおるん(@kaaaaaoruuun)

今伝えたいこと

やさしくしないで

 

きらいになってよ

 

にくくてにくくてたまらなかった

 

くるしくてくるしくてたまらなかった

 

ただのいちどもふれることさえできず

 

べつべつのみちをすすんでいる

 

ただそれでも、そうだとしても

 

いまでもあなたをあいしています

 

 

アミーゴ銀三郎

 

 

9月23日

あなたは朝が苦手だった。

映画の予定に間に合わなくなって不機嫌なわたしを小馬鹿にしたような寝癖を付けて、平然と寝息を立てているあなたに溜息ひとつ。机の上にあったマッチ箱を手に取って、煙草を灯した。

ベッドの縁に腕をかけて、広くて薄い背中を見つめた。煙を吹きかけてみると、白いTシャツがうっすらと揺れてまるで雲のようだった。首筋にある小さなホクロは金星かな、なんて思っている間に気付けば灰が落ちてしまっていて、慌てて手で払い落とした、溜息ふたつ。もしもあなたが起きていたならば、洗濯当番だけじゃ済まされなかっただろう。 

テレビの中では朝のニュースがせかせかと伝えられている。虫の声ほどのそれは、わたしとはあまりにも程遠いところにあって、まるで遠い国のお伽噺のように聞こえた。

昔々あるところに、街外れの小さな部屋がありました。嫌味なほどに派手な字体で、わたしの知らないホテルの名前が描かれているマッチ箱をそっと同じ場所に戻した。

その部屋には物分かりが良い女と、都合の良い男が、とてもとても仲良く暮らしていました。この一本を吸い終えたら、呑気に寝返りを打っているあなたを揺すり起こして、レンタルショップに連れ出そう。

今日の天気は晴れのち雨、いかにも落ち込んでいるかのようなトーンとわざとらしい表情でキャスターが報じた。ごうんごうん、と小気味よい音を鳴らしている洗濯機を睨みつけ、溜息みっつ。

 

お互いがお互いを支えあって、幸せに過ごしていましたとさ。

頑張ること


唐突ですが私はよく「頑張ってるね」「頑張り屋だね」と人からよく言われます。

まあ素直に嬉しいんですよ。認められてるみたいで。

でもたまにその「頑張る」にどうにも違和感というか、なんというか少しの居心地の悪さのようなものを感じます。


それは私が自分は怠け者で馬鹿で人よりも劣っていると思ってるから。「頑張ってる」と言われることに引け目を感じてるからじゃないかなって。


人によって物事の考え方とか基準が違うのは重々承知なんですね。わかっちゃいるんだ。


でもやっぱり自己肯定感低いから、もしかして自分って「頑張ってるふり」をしてるんじゃないかとか考えちゃうんですよね。

なんだかそれってめちゃくちゃ虚しいじゃん…(辛くなってきた)


こんな自己肯定感低い私ですが、自分に甘いので(自分に甘いからこうなってるんだよな)「あ〜今日結構『頑張った』じゃん?」とか思ってご褒美〜とか言って甘いもの買ったりするんですよ。

でも周囲と比べて私の「頑張り」は何も生み出していないゴミカスだし、やっぱり頑張ってないやって凹む。


人と比べるの良くないってわかってはいるけど中々上手くはいかないなぁって感じます。

人は人、自分は自分、優れてないなりに自分なりに「頑張ってる」ことを認めてあげられたらいいなあ。

でも手放しには認められないから何か成果がなくちゃなあ。


ということで少しでも前向きに自分の頑張りを認めてあげるために目に見える成果が欲しいなと思って、最近は本を読んだり(論理的思考力の鍛え方とかね)、資格の勉強をしています。


就活も一応終わり、来春からは常に成果とかが求められる環境に身を置くことになるのでどうにかして価値ある人間にならないとと焦ってます。


なんか最近銀行とかがAIでの業務効率化や削減云々とかたくさん言ってるじゃないですか。人員削減とかも。そういうのを聞いていて、漠然とだけど日々をダラダラ言われたことだけこなして生きていった先はどうなるんだろうとか。きちんと稼いでいけるのだろうか。なんなら生きていけるのかなとかとにかく不安。親もいつまでも生きてない。人生まだまだ長いのに不安でしかない。だから現状をどうにかしたくて今は自分なりに「頑張る」ことをしています。価値ある人間になりたいぞ。なりたいじゃなくてなるんだぞ。


今更足掻いてもっていうのもわかるけど、何もしないよりはマシなんだぜ。


LIVE FOREVER

 

 

 星空。ロマンチストかしら。いいえ。オリオン座しか知らない。恋の字も知らない頃に冬の純な風に吹かれて見上げた。自転車、暖かいコート。暖かい手袋。幼い頃に星の歌を聞いていた母親の車を思い出して、家に帰る。塾の帰り。まだ明日は見えなかったけれど、見えなかったから何も不安はなかった。家々から漂うシャンプーの香りや夕飯のにおい。今日は煮物かしら。それとも魚?

 


 あれからもう10年以上経つのね。今年もオリオン座は見えるのかしら。そのまま家に帰ることもできない場所で、変わってゆく両親、それから私。星空はいつまでも変わらないものね。私に分かるのはオリオン座だけ。冬になってゆくにつれて澄んでゆく夜空。昨日今年初めて星が見えたわ。それだけ。今夜はもっと綺麗に星が見えるのかしら。季節と私たちは変わってゆくね。変わらない星空を求めて。

 

 

 

 

 

9月17日


「台風上陸、夕方から、だって」とあなたは言った。

起き抜けに怪訝な顔をして空を覗いたからだろう。あなたは隣で布団に寝そべったままで、読んでいる文庫本から目を離さずに、それからまた、「出しっぱなし」とつまらなさそうに言った。

振り向いてテーブルの方に目を移すと、昨晩の記憶と同じ光景のままで、どろどろに溶けてしまっているアイスクリームだけが時間の経過を密かに示していた。「覚えてる」と何でも無いように返したつもりが、声が掠れてしまって弱々しく響いた。あなたは何が可笑しいのか薄く笑って応えた。

気付いているのなら片付けてくれればいいのに、と思ったけれど、わたしも笑った。網戸の合間を冷たい風がくぐり抜けて入ってくる。床に転がっているビニール袋が揺られて、かさかさと音を立てた。

夢を見ていた。目を瞑って思い返す。わたしはこの部屋にいた。ちょうどこの位置から自分の背中が見えていたから、きっとあれは夢だ。眠りにつく直前まで『雨に唄えば』を観ていたからかもしれない。まるで古い無声映画のように音はなくて、色もなかった。

わたしは、ひとくちずつ残した惣菜や発泡酒の空き缶でごった返しているテーブルの前に座り、きちんとコースターを敷いてコーヒーを飲んでいた。吸い込まれてしまいそうなぐらいに真っ黒のそれは、砂糖をそのまま噛み砕いたような甘い味がした。なおも文字に目を落としているあなたはそこにいなかった。

夢の中のわたしは、一度だけ口をつけたコーヒーカップを壁に投げつけて、しばらく黙り込んだあと、膝小僧におでこをくっつけて、肩を震わせていた。あれはいったい、何が悲しかったのだろうか。

薄目を開けて、コーヒーカップの行方を眺めた。放った先の壁にはつまなさそうにいつも通りが佇んでいた。「また寝るの」とまた笑いながらあなたは言った。目も合わせずに放ったその言葉に、まどろみから救ってくれるほどの力はなく、ましてやそれを望んでもいないだろう。どうせあなたのことだ。小雨が降り出してくれば、ゆっくりと肩を揺すって、「そろそろ帰らなくちゃ」と優しく起こしてくれるのだろう。それを安心だなんて到底思えないおまえは意地が悪くて惨めだ、と知らしめるほどに穏やかな顔で、玄関まで手を引いて送ってくれるのだろう。わたしも同じ顔で「またね」だなんて返して笑っているんだろう。

あのコーヒーの味が今も喉にどろりと溜まっているような気がした。わたしはブラックコーヒーが飲めない。不規則な間隔でページを捲る音が耳に入る。まるで壊れてしまった時計のようだ。空を飛ぶ鳥は椅子に座る夢を見ない。味を知らないわたしは夢も見られない。