うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

においについて

 

 季節の変わり目は匂いから知る。暖かさ、涼しさ、寒さ、暑さ、みな、そのあとにくる。秋は金木犀、春は桜?花の香りなら、暖かくなってから、暑さが過ぎてから。でも、そうではない、匂い。何の匂いなのだかは分からない。

 今年も、ああ、もう秋か、と、夜歩いていて思った。その匂いが鼻腔をくすぐったから。まだ、暑かった。3日して急に涼しくなった。虫も鳴きだした。秋が訪れた。

 何の匂いなのだろう?

 雨の匂いはペトリコール、というらしい。調べると化学式など、いろんなことが書いてある。この不思議な季節の匂いというものも、いつか解明されるのだろうか。あまり期待してない。どっちでもいいからね。

 

 梔子の花の香りを知ってる?

淀君の 墓梔子の 白似合ふ (池田とみ子)

 梔子の香りを知らなかったら、この歌でどんな香りを思い浮かべる?知らない香りはどんな香りだろう?

 

 私は梔子の香りを知らなかった。当時、懸想人が好んでいると聞いたガーデニアの香水を知りたくて、この歌だけを携えて、どの花だろう、この花か、あの花か。と歩き回っていた。高貴な女性の墓……淀君は気が強い女性だったらしい……

 3年ほど知らずに考えていたけれど、気づいたら今年の春、住居の近所で咲いていた。ひとに教わった。この花が梔子。そのとき、その香りは、ずっと探していた香りとは違った。もっと、こう……。ガーデニアは(くちなし)で、「梔子」ではなかったのかもしれない。

 香りと言えば、プルースト失われた時を求めて失われた時を求めて、香りという紐で記憶を手繰り寄せる。香りは記憶と密接に結びついているから。

 

 視覚も、聴覚も、触覚すらも、いまやインターネットで伝達可能な時代だけれど、嗅覚だけは、まだ。この不可思議な領域には、いろんなファンタジーが詰まっている。季節を知らせる香り、知らない香り、記憶と結びついた香り。

 

 私がおすすめするのは、知らない香りの、歌を読んで、どんな香りが想像を巡らせてみること。これはとっても面白いと思います。歌にある視覚や聴覚や触覚の情報から、イメージを膨らませて、嗅覚を感じ取ってみる。短歌や俳句の豊かさって、そのイメージのふくらみにあるから、とても楽し旅になると思いますので、ぜひ。

 

 ところで、私、初めてここに書き込みさせていただきました。毎日更新を楽しみにみなさんのブログを読ませていただいてます。これからどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

「そうだよ」

女の子が好きな女の子はダメですか?


流行りのLGBTの論に乗ろうとか全く思ってないです


この前バイト中突然私は女だけど女が好きだなあって思って過呼吸を起こしかけたオタクですどうも


そもそも私は女の子のアイドルさんが大好きなのですよ

卒業してしまう推しの公演のために就活中全く先が見えないしもしかしたらまだ内定ないかもなって4月の時点で解禁直後の6月に公演当たるかも分からないけど博多に行くための飛行機と宿取ってみたり、握手行ったりね、かわいい女の子のためならなんでもできる


私は小学校あがる前からモー娘。が好きで、振りコピしたり歌ったりして遊んでました

学校にあがると憧れる対象がアイドルから身近な友達とか先輩になり、過ごしてきました

いまは女子アイドルをおいかけつつ周りのカワイイ子にちゅっちゅこして生きてます

私は基本的にそういう愛でる対象としては女の子ばかり慈しんできました

女子大に入った私は、周囲に全く男がいない環境というのに慣れていきました

もちろん関わりがゼロではないですが、学校生活で男性と関わらずに生きていくことは難しいことではなく、そして女しかいない環境を心地いいと思う私がいました。


ここからが本題なのですが、私は自分の「女性性」みたいなものが本当に嫌です

毎月生理がくるのも気持ち悪くて他の子が生理で体調悪いとかわいそうに思うのにそれが自分だとその現象そのものが気持ち悪くなるしどこぞの老害かのように「甘えんな」とおもいます

かわいくなりたいとかかわいい女の子にあこがれるとか言いつつ自分がそういう目で見られたり男の人から好意を向けられるとそれを受け入れられないしそういう人を信じられない気持ちになります


女の子らしさとか女子力とかそういうのは大好きだし自分で持ってても大丈夫なのですが、性に関わることになると本当に気持ち悪いなあって思います

潔癖とかではないです

むしろ汚いほうです(?)


いろんなことを考えた時にふと「女の子と付き合ったり結婚する自分」を考えている自分がいて、その中で自分は確実に女の役割をしてないんです


すんなり「私は男になりたかったんだ」って思いました

自分は女だと思っているし生物学的にも女だけれど、女の子扱いされたくない、男として生きていきたいって感じです

そう思ったら「恋愛対象としての女の子」がすっと浮かんできました 「好きかもしれない」と思いました 死にたくなりました

今まで友達だと思っていたしこれからも友達だと思いたいし向こうはなにもそんなこと思わないだろうに、多分私はその子のことを恋愛対象にしていました

その子にはそんなこと思ったって一生言わないつもりです

言っても何もならないどころかこれから一緒にいられないかもしれないし


多分今まで私は自分のことをストレートだと思っていたし、本当にストレートです

(いま恋愛対象として愛しく思っている人は男性です)


でもどこかでほんとに私の好みの女の子がいて、自分がもっと早くこのことに気づいていて、その子が許してくれるなら、そういう道を歩むこともあったのだろうなあと思ったのです


そう思った時自分が怖くなりました


確かに女の子は好きだし、LGBTとかも分かる、でもそれが自分の事として受け入れられないと思いました


そんなもの望んでいないとは思いながらも自分への親からの期待や世間からの目、さらには自分を受け入れてくれるだろう女の子にも同様のものがあり、そこには法的拘束力や確かなものがないというなかでの強いつながりを持とうとする…

それら全てを受け入れることってすごく体力も気力も覚悟もいります

自分には無理だと思ってしまいました


世間のLGBTのひとたち、ほんとうにすごい


この話って「自分が『普通』である」ってことに安心してる、「『人と違う』ことを受け入れる」って話なんですよね簡単に言うと

そこに「相手」というひとりの人間が加わるだけでこんなに複雑で難しく考えてしまうのです私はオタクなので(?)


よく私は女子アイドルの話もするし、周囲の女の子にちゅっちゅこしてまわったりもします

その度に「レズなの?」「違うよ」という会話を当たり前にしてきました

私の心はまっさらなストレートではないと思います

もし「レズなの?」ときかれて「そうだよ」と答えたら周囲の私に対する反応はどう変わるのでしょうか

私をどう受け入れてくれるのでしょうか

そう考えた時に、いろんな可能性がある中で「そうだよ」と答えるってすごく勇気のいることです


きっと私はこれからも「レズなの?」という質問に「ちがうよ」と答え続けますが、心のどこかでは女の子を恋愛対象にしていますしそれでいいと思って生きていきます



こんな私をいやだと思いますか?

私の友達は私が女の子が好きでも仲良くしてくれますか?離れないでくれますか?


女の子が好きな私は、ダメですか?


かおるん(@kaaaaaoruuun)


ロールプレイング

「おれおれ!おれだよ!おれ!えっ?!おれだよ〜〜?!おれのことわかんない〜〜?おれだけど〜〜〜?!」

 

ダメ、絶対。ダメですよ。ちょっとボケてる善良なおじいちゃんおばあちゃんの預金をさ。ダメだよ。全国の高齢者の箪笥に875兆円が眠っているとか言うけどさ。どんなにワープアだからってダメだよ。今からなりすましの話をするけど、それは悪意じゃなくて希望の話なんだから。

 

さぁみなさんどうですか。日頃からキチンとなりすましてますか。

考えてみよう。なりすましてるでしょ。この現代社会、毎日毎日仮面をとっかえひっかえで大変な人もいるんじゃないですか。

僕はそらもう、なりすましまくりですよ。仕事に行けば「なんかいつもダルそうにしてる飄々とした感じの人」だし、家に帰れば「献身的に家事やら恋人の世話やらするけど、どこか抜けてるうっかり者」だし、友達の前では「几帳面で細かくておしゃべりで意地悪だけどなんだか憎めない人」だし、インターネットでは「ソシャゲの沼にハマったアタマのおかしい競馬おじさん」ですよ。一応言っておくけど、大体自称じゃないですよ。

 

現代人が当たり前のように行う「キャラクターの使い分け」の一例なんですけど、まぁどれかが本性だということもなく、環境や立場に応じて過ごしやすいキャラクターになりすますわけです。

もちろん誰もが何者にでもなれるわけではない。人にはそれぞれ引き出しというものがあるし、無い袖は振れない。

それでも「私は私だし、私以外私じゃないの。私を私として受け容れてくれる人としか関わりたくないんだもん。私私。私私私私私私私私私私」なんて言ってたら生きづらさマックスだろうし、全てから拒絶されているような気分になるときもあるだろう。ハートが複雑骨折でアタシもうオカしくなっちゃうみたいな状況になりかねない。 絶望ですね。

だからなりすます。適応するための戦略として。一度各コミュニティで各キャラクターが居場所を得さえすれば、あとは慣性に従うだけでいい。キャラは勝手にひとり歩きしだすから。

 

「人生とは物語である」みたいな価値観は生きやすくさせてくれるよという話だったんですけど、うまく言えたかな。

主人公をいろんな物語に同時並行で登場させると、物語の外側にいる作者はカオナシになっていくから、その辺のことだけアホの子みたいに「よくわかんなーい」つってハナクソをホジっておかないといけないんだけど。

ハナクソもたまにはホジらないとね。たまには。ティッシュを使ってホジるか、ホジったあとは手を洗おうね。おじさんとの約束だぞ。

 

ふわっふわの毛布 (@soft_blanket101)

 

 

告知

 

 

みなさんこんにちは、

そういや今年の夏はかき氷を食べていなかったなあ、といまふと思い出してちょっと悲しくなっているおれです、どうも。

 

 

夏が物凄い速さで通り過ぎていって、もちろん何にも手につかないまま、何にも手に入れられないまま、夢みたいな夏の感じ方を今年はしました。ほんとうに今年の夏、マジでなにしてたんだろう。東京をあちこち駆け巡って、実家に帰って怒られて、店長に店長代理を頼まれてうわーマジかーってうっすら思ったことしか記憶にない。あれ?

 

てな感じで、まもなく9月がやってきます。

 

9月はみなさんにとってどういう思い出がある月ですか?わたしは歴代の彼氏の誕生日が9月に集中しているため、個人的にため息が止まらなくなる月です。

でも今年の9月は次の月である神無月に向けて、ちょっとずつ面白いことを仕込んでいこうかなと思っています。なんせ10月はほら、おめでたいことが待ってますから。

 

 

さて、ここからが本題。

 

 

10/7はこのブログの誕生日です。もうすぐ一歳になるんです。

ということで、10月中に一歳記念企画として、週に2本、月大体8本くらいのペースでバトンを回したいとおもってます。

なので有志は最低8人を目安に募ろうかとおもってますが、足りなかったらまあ、管理人が…代わりに…2本書くかな…しんどいのでみんな書きに来て!お願い!

有志が多すぎて困る〜!ってことはないです、むしろそういう状況になりたい。

お題は前の人から受け取って次の人がそれで書く、という感じでいこうかと。

 

 

ここからは具体的な話。

有志募るのはTwitterでやりたいとおもいます。「書きたい人はこのツイートにいいね押してくださーい」みたいな感じ。拡散はバンバンしてください。

とりあえず9月初っ端から応募をかけて、大体9/10くらいになって様子みて応募打ちきります。

で、その後に書く順番を決める公開キャスをわたしがします。くじ作って引くやつね。これひとりでカラオケでやろうかとおもってるんですけど、考えただけでめちゃくちゃ空しいな。

ということを9月中にやっておきたいな、という話なんです。

 

 

 

 

わたしも9月からは私用でバタバタしている頃合いなので、うまくできるかわからないのですが、みんなよかったら気軽に参加していただけたらと思います。

 

 

書くタイミングを見逃していたりするひと、必見です。ただ今回は自分の好きなことを語る場ではないので、お題があったら書けるんだけどなあ、というひとにはぜひ参加してほしいな。

 

 

これ、一応共用ブログのアカウント使ってキャスでも告知するのでよかったら聴いてくださいねえ。

 

 

それではまた9月に会いましょう。

 

 

 

 

 

透子

 

 

 

 

 

 

 

秘密が、わたしをつくる

見上げるともうすっかり、空は秋めいている。
私の住む場所は恐らく、全国の中で一番先に季節が巡る位置にあると思う。最近、朝晩は15℃を下回る時も多い。
そうやって段々と冬に向かっていくにつれて、思い出さざるを得ない記憶が2つある。
ただ、今回はそれについて直接的に話す訳ではない。


記憶、というワードを出すと、ほぼイコールで私の頭の中に想起されるのは「秘密」というキーワードである。
「秘密がわたしをつくる」とツイートで公言している以上、秘密という言葉に対して私は独自のロジックを持っている。

それでは私の最大にして最初の秘密をここに記しておく。

「秘密があるか、ないか」

それが私の秘密である。


秘密の有無の真偽についてはどうでも良い。もし本当に秘密が無いのなら、「秘密が無い」ということを秘密とでも言っておけばいい。
人間は「知らない」「わからない」「掴めない」ものに対して、どうしても興味を持たざるを得ないし、惹かれざるを得ない。
秘密という言葉で、誰かの心に少しだけ引っ掛かる、けれど忘れられない、そんな人間になれたらなぁと思う今日この頃。


そんな訳で、初めまして。
遅ればせながら名乗らせて頂きます。
朔です。どうぞお見知り置きを。
ここのブログには皆様それぞれが素敵な文章をお書きになられていますが、私が一番稚拙且つ意味の解らない文章を書く自信があります。
宜しくお願いします。



さて、この文章の始めに出した、
「そうやって段々と冬に向かっていくにつれて、思い出さざるを得ない記憶が2つある」という一節。
本当に2つなのか、思い出す季節は今時期なのか、本当に思い出すのか、そもそも思い出すような記憶はあるのか?

それもまた、秘密である。



はじめましてになります。
これ名乗った方がいいんですかね、みんなどうなんだろ、あまり周りを気にしていきてきていないので周りについて考えるのはやめて自己顕示欲だけで名乗ることにしました だめなら編集してくれるでしょ管理人。(他人任せも私の特徴のひとつ)
どうもおはようございます、こんにちは、こんばんは。
日々考えすぎて生きていくのが面倒くさい女、かおるんです。

普段はアイドルさんについてとかアニメについてとか、頭ゆるそうなばかりついーとして生きてるので何も考えてなさそうにみえます
実際何考えてるかと言われるとなぜ同じ時代に同じ染色体を持って生まれたアイドルが私と見た目が全然違くてかわいくてやさしくてすばらしいのかとかなので、やっぱり頭はゆるいです。

たぶんそろそろ私を書き手とすることを許した人が頭抱え出す頃だと思うのですがせっかくなのでこの調子で私が最近めちゃくちゃ考えてることを言語化しようと思います。

『私は私であるために、私でなくなっている』

私の布団には最近このテーマを考えろと電流が流れているらしい。
今夜も犬夜叉Netflixで見ながら永遠にかんがえていたのですが。

私はいまわりとおちゃらけキャラでフワフワとゆるゆるとアホの子のように生きているのですが、実は小学生の頃やら幼い頃は教室の隅で本を静かに読んでいて友達ともうまく話せない、物語にでてくる典型的根暗でした。
小学校5年生のクラス替えで、ずっと憧れていた隣のクラスのかわいい女の子と同じクラスになり、その子に近づくため、友達になるためにキャラ変をしたのです!
すげえぞ私。かわいい女の子が好きってところ、キャラブレてない!笑
そして無事かわいい女の子と仲良くなることに成功した私は、その子とずっとなかよくあるためにそのキャラで居続けて、中学に上がり、同じ部活に入り、日々を過ごしていくわけです。

だんだん流れが読めてきたと思うのですが、私の心とキャラに大分差が出来てしまいました。
気づくと私はいつもおちゃらけて笑いの中心にいてギャーピーやっていて、心の中ではなにが面白いのか分からねえって言っているような子になっていました。
高校に上がっても周りのメンバーが変わらないのでそんなキャラを貫いていました。

高校2年生になる春、転校することが決まりました。
私は高校にだいぶ愛着があって死ぬほど抵抗したし、なんならひとり暮らしも検討したほどだったのですが、あることを人質に取られて転校を余儀なくされました。
ここで私は決心するわけです。「キャラ戻そう」と。

元々根暗っぽい女の子だったのに今まで無理してたからこんなことになってるんだ、今私転校で心荒んでるし戻すだけだ、そう思って学校に行ったんです

もう戻らなくなっていました

私は社会生活のほとんどを「お調子者でおちゃらけてて、アホで賑やかし係のうるせえオタク」として生きていて、それ以外の生き方を忘れてしまったのでした。
確かに私は他人から見たら「昔から変わらない」「私らしい私」なのでしょうが、それってほんとに私なのでしょうか
ストレスを感じ、本来に近い状態で考えてることをつぶやくと「キャラじゃない」「メンヘラ」と言われて、それってほんとに私のことなのか、私であることを強要されているのか、私というキャラだけがひとり歩きして本質を置いていかれるように感じて生きるのがしんどくなります
私は今日も「私らしい私」として生きて、私からかけ離れていくのでしょうね

とか考えてると「そもそも本当の私なんていうものは存在するのか」とか考えてしまうのでよくない

多分こういうことってたくさんの人が考えてるんですよ、某バンドだって『私以外私じゃないの』とか言ってますしね
最近、ちょっと意志の強い人と一緒にいることが多くて、『確固たる自己』を確立してるひとをみてるのでうらやましくなっちゃうのです

そうして「私らしい私」にすらなれない私は今日もどこかで紛れながら生きていくのです

長々とすみませんね、ものぐさであまり他人の反応とか気にしないタイプなのでたぶんこの件について私にどうしても意見したいことがある人はついったーのDMにでも送ってください
私のアカウント基本的に誰でも送れるようになってますので
まあそんな思うこともないでしょうし「こいつ生きずらそうだな」と思って読み流してくれたら幸いです

こういう人目を気にせず書きたいこと書けるのありがたいね、またなにか気まぐれにかきにきます
ありがとう

かおるんでした。

襟裳岬

はいどうもどうも、
夏の日差しの和らいで来る今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
貴方の心のガンジス河、ストロンガー猿です。

夏らしいこと、なにか皆様いたしましたか。
猿めはというと、たいして何かをやった覚えがなく……
海も行かねえ……!祭りもねえ!
蝉、クワガタも採っちゃねえ!
レーザー・ディスクは何者だ!
襟裳の春は何もない春です!!

そんな我々1.7メーター級インドア大型猿が僅かに享受できる夏の悦び。
琥珀色したニクいヤツ。ビアです。
ビアのお話、いかがスか。

暑い暑いソーラー・エネルギーにやられた体を引きずり働き、
日の終わりにセルベッサをペルファボーレ。
たとえひとりでもヤーーンセン!
うまい!(テーレッテレー‼︎)というのが我ら黒人奴隷に許された夏の悦び。

切支丹達がその人口の多くを占める欧州、あちらでは土地や職や自然現象などに守護聖人というものを置いたりするのですが、ビールにも守護聖人がいるのですよね。
同名のビール絡みの聖人🍻が複数いてややこしいのだけれど、
聖アルノーという人がですよ。
彼はビアマグ一杯しかなかったおビアを、
枯らすことなく次から次へと湧き出させたという奇跡により聖人認定されたという男。
賢明な読者諸賢はもうお分かりでありましょうが、強化系の念能力者ですね。強キャラです。
(特質系と相性は悪い)
僕の冷蔵庫の守護聖人にもなっていただきたいし口に直接サーバーを繋げたい。

しまった、アノ……すいやせん、
話をどこに帰結させようとして書いてたか見失っちまいやした……

助さん「まったく八兵衛、お主はうっかり者だなあ。」
へへ……すいやせん……

オウなんじゃい!
わしが一番うまく言えとらへん人やろがい!

光圀公「全く八兵衛、お主はうっかり者じゃなあ。」

へっへへ……すいやせん……

irreplaceable

英語に irreplaceable という単語がある。replaceble の否定系で、日本語での意味は『取り換えられない、代わりの効かない』と言ったところ。転じて『かけがえのない』といったようなニュアンスで、大切な恋人や友人に使われる。また、とてつもないスキルを持った人に対して職場等でも使われる、便利な単語。

 

先日ネットのどこかで見た記事によると、バイト関連の悩み相談で多いのが『辞めたい程大変な思いをしているのだけれども、私が辞めたらお店が回らなくなるかもしれなくて心配で…』というものらしい。バイトでも数年働けばその仕事に対して一通りのスキルセットは覚えることになる。新しいバイトの人たちが入ってくれば、後輩を持ったような気持ちにもなるかもしれない。そういった過程の中で、店長あるいは上の立場の人からなまじ期待をされ、バイトながらもお店に対して責任感も芽生えていく。責任感と言えば聞こえがよいが、『お店が心配で辞められない』という責任感はそもそもバイトが持つべきレベルの責任感を明らかに超過している。

 

日本人の持つ責任感は他の人種の人から見ても特異に見えるという話をよく聞く。私の周りのニュージーランド人や中国人の友人も良く話をしているので、私たち日本人は本来そういうものなのかもしれない。しかしながら、そういった『やめられない』人達は『自分はこの社会の中で掛け替えのない irreplaceble な人間でありたい』という少し屈折した願いから、超過した責任感を持つに至っている気もする。

 

ニュースだって今はコンピューターが自動で作ってしまう時代だし、車の運転だって人間なしで出来てしまう時代だ。人間そのものが replaceble である時代なのだから、自分の irreplaceble性をこの社会生活の中に見出していくのは何かのスキルに特化したスーパーマンでもない限り中々に難しい。だから私たちはそれが間違いだとしても信じたくなるのでないか。『私はこのコミュニティで掛け替えのない存在』なのだと。

 

ニュージーランドでの大学生活が終わり、一ヶ月半程日本をぶらぶらしていた。その時現地でやっていた家庭教師のバイトやアプリ開発のプロジェクトは関係者に話をし、完全にホールドしてもらった。当然のことながら、それでも彼らにとっての生活は止まらないわけで。私が教えるべきだった算数は誰か他の人が教えたかもしれないし、私が作るはずだったアプリの新しい機能は他の人の作業に割り当てられたのだと思う。私は完全に replaceble だった。少し残酷なのかも分からないが、それは当然の事実だった。

 

それでも嬉しかったのは、私が日本滞在中には色々な方から『いつ帰ってくるんですか?子供たちが凄く会いたがっています!』だったり『早く帰ってきて算数見てほしいです!この間の息子の成績おかげさまで凄くよくなっていました!』という連絡をもらえたこと。ニュージーランドに帰ってきたその日にも、『今日帰ってきたの?今日からまた算数見てもらえる?』という連絡を頂いた。私の代わりはいくらでもいるのだから決して irreplaceble なんかではない。しかしながら、それでも、私が近くにいるのであれば喜んで私に replace したいと思ってくれる人たちは確かにいるのだ。

 

責任感を持つことはもちろん大事で、それが良い仕事に繋がっていくことはもちろんある。ただ、度を過ぎた責任感は捨てさった方が楽に生活出来るようになるんじゃないかと思う。言い換えれば、自分は決して irreplaceble なんかではないんだと肯定的に捉えていくことからスタートしてもいいんじゃないかなということ。適度な責任感で肩の荷をおろしながら、適切な距離感を保ちながら社会と関わる。その中でも、やるべきことをしっかりやっていく。そうすれば1人で躍起にならなくても、サポートしてくれる人は自ずと出てくる。

 

そういう社会との付き合い方が出来れば、この社会はとても優しいもので、心地の良い生活しやすいものになるはずで。誰にとってもそんな居心地の良い社会に replace されればいいなって思った話。

 

おしまい。

 

うまくいえないなゆき(@nayukinz)

1周年記念が近いということで

 

 

みなさんこんにちは、

地元の駅が20分に一本しか電車が来ないことにホームで電光掲示板を見てようやく思い出してうなだれながら待合室でこれを書きはじめた次第のおれです、どうも。

 

 

 

帰省をしていました。3泊4日。

 

帰省したその日の夜に「どうせ怒られに帰ってきたんだろ」と父に鼻で笑われたので、かえってそうです、というのがラクになったような、まあでも思ったより怒られてはいないけど呆れられているのはひしひしと感じたので、実家というものはやはり居づらいところだとおもいました、完。

 

まあ、あなたがたとは住む気はないし、地元に帰るつもりもない、あなたがたに甘えるつもりもないのだ、という旨だけは伝えられたので、それだけでも大きい収穫なんです、やったねえ。

 

 

 

そして昨日の夜、こっそり仲のいいTwitterの方たちと話していて、「おもしろそうだから」という理由だけで、ついにこの共用ブログ専用の投稿通知アカウントを作ってしまいました。

書き手さんで投稿はするけどTLへの通知は切りたい、というひとはまあ切ってもいいよってことで、これもまたゆるゆるやろうと思っています。続いたら幸い、続かなかったらまあ仕方ないね、くらいの心持で。

 

 

今のところこのアカウントも共用にしています、ただの投稿通知アカウントにしたくないのでちょいちょいどうでもいいことを呟きますが、ご愛嬌ということで許してくれたら嬉しいです。

 

 

基本的にフォローしているひとはこのブログを書いてくれている書き手さんだったり、読んでます!といってくださった方たちを中心に、あとは「書いてくれないかな…」と密かに思っているひとだったりします。

だから全然関係ないのになんでフォローされたんだろう、とハテナが浮かんでいるそこの方、あなたですよ、ぜひこちらにいらしてください。

 

 

このブログからTwitterに飛べるひとは、ぜひ以下のアカウント名で検索してください、いつもみてくださってありがとうございます。

 

 

☞うまくいえないひとたち。

☞@neednt_say_well

 

 

それでは、失礼します。

 

 

 

透子

 

 

 

 

 

タイムアタック・三曲おすすめしようずの巻

 

 

 

えーと。
とりあえず、渋谷から吉祥寺に着くまでの時間で1本ブログ記事を書けとかいう謎の指令を承ったので書いてます、どうも。何言ってんだてめえ、という反論ができないままこうして書き始めている。

 

 

 

最近よくつるむひとがお題を出してプレゼンしたがるタイプのよくわからん狂人で。

それに躍起になってわたしもモノを選んではみるんですが、大抵その狂人の方がうまいセレクトにうまいプレゼンをぶちかましてくるという災難に立て続けて2回ほど遭っています。悔しい。

 

今回はそれをリメイクして、お題に基づいたおすすめの三曲を頑張って紹介する、的な内容にしたいとおもいます。

今回は、「ちょっとだけひとりでいてさみしくなった時に聴いてほしい」というものを集めてみました。いやお題じゃないじゃーん!とかいうツッコミはしないで。お願い。なんでもするから。 (もし「その曲知ってるー!」とかそういう声があがったらごめんなさい)

 

 

 

1. Ed Sheeran "I'm a Mess"


https://m.youtube.com/watch?v=OtZRC_0Vc_A

 


最近みんなTLでバンバン流れているかとおもいますけど、"shape of you" サイコーじゃないすか。
個人的にコードと歌詞がちょっとえっちな感じなのが好きです。聴いててからだが動いちゃうような曲はやっぱりウケますよね…

というところから始まって、Sheeranのちょっと若くてトーンは高いのに温度の低い声にハマった結果のセレクトがこちらです。

これいま慌てて歌詞調べたらがっつり失恋の曲らしいですが、それも頷けるような最初のさみしそうな歌い出しがとてもいいです。かなしいけど消して暗くはないテイストが聴いてて苦にならないというか。
失恋しなくても聴いて。失恋しても聴いて。

 

 

 

2. Kronos Quartet "The Beautitudes"


https://m.youtube.com/watch?list=PLtHA2-PaAY7eIpgF1Z_iKRK_IMlSlKV4z&v=FskOzt6INlQ

 

はい、サントラです。
パオロ・ソレンティーノの『グラント・フィナーレ』という最近の映画のサントラを探していたら偶然出会った曲なんですが、これがまた割といいんですよねえ…

バンド自体は現代音楽中心にやる弦楽四重奏団なのですが、この曲自体もサントラみたい。言い方ふわふわなのは全然調べてないからなんですが、この時点で次吉祥寺です。もう無理ゲーかよ。

曲についてすこしばかり。
冒頭をよく聴くと、中低音勢が静かにいるのがわかるんですが、そこに自然に乗っかってくる第1バイオリンの旋律のあたたかさにまずは聴き惚れてみてください。
全体としてゆっくりと拡がって収束していく流れと、かなしくはないのにどこかさみしそうなコードに注目ということで。

 

 

 

3. ペトロールズ "ないものねだり"


https://m.youtube.com/watch?list=PLtHA2-PaAY7eIpgF1Z_iKRK_IMlSlKV4z&v=UD-4bLTw3bU

 

はいきました、ペトロールズです。
東京事変が好きだったために、2代目ギタリストである浮雲さんの追っかけをしていたら辿り着いたこのバンド。これはまあみんなよく知ってるかなーと思ったんだけどでもオススメしたい。

うっきーこと長岡亮介氏のギターの見どころは、ずばり〈いろんな顔をみせてくれる〉ことにあります。事変の時もそうだったけど、うっきーが2代目としてメンバー入りしてから事変の曲のテイストの幅が広がった気がしませんか?あれは間違いなくうっきーのキャラクターが寄与して起こったことだと思っているんですが、めっちゃオタクっぽい文章すぎて書いてて引いた。

では曲について。
"ないものねだり"は、ペトロールズという3ピースバンドが決して長岡亮介を主体とした三角形ではなく、ベースのジャンボやドラムのボブの要素も欠かすことはできない、3人でひとつなのだと改めて思わせてくれるような曲だと思っています。無駄のない、洗練されたお洒落な曲という感じだろうか。歌詞はこれもまた失恋の曲なんだけどこれ失恋がお題でもよかった気がするね?

 

 

 

 


はい、ということで無事、三曲紹介し終えたので朝飯食ってきまーす。
朝起きてブログ書くの、割と楽しいけど全然時間足んねえわ。
みなさんよかったら聴いてみてくださいね、。

 

 


透子(どこよ @camelzback139)

 

 

 

 

 

 

大型新連載開始!!

 

 

あー***(@****)である。
管理人サマより「おまえは名乗るな!」とのこと、どうせ検閲で消されると思うんだけど、最初に名乗りを上げてみた。紳士だし。

 

 

さて、ブログですか?
何人かで無秩序に運営するブログはいずれ、コンクリートの壁に落書きされたグラフィティアートみたいな感じになるのかな。なにしろ書くテーマは自由らしい。私的な身辺雑記が塗り重ねられる場所では、まわりに類似色がない“固有の色”を出す方が賢そうだ。

 

 

固有の色、だとさ。

人間を色に喩えた安易は措くとして、そもそも個人の言葉に於ける固有性ってなんだろうね、という話だ。その延長上には、みなが「個性」として崇め奉る御神体の正体もありそうだ。

 

はっきり言うと、俺は個性という幻想をまったく信用していない。必死に自分の個性を吹聴する凡庸は、たとえばよく耳にする「わたしってよく変わってるって言われるの〜」という言いぐさへの反感を想像すれば分かりやすいと思う。
なんというか、個性は本来“孤性”とでも書くべき性質で、ほんとうに変わっているやつはいつも申し訳なさそうに俯いているものなんだ。どうせありがちな個性なら、それを恥じる羞恥心の方がずっと好ましい。

 

ところで、弱っている人間が魅入られやすい言葉にはふたつあるという。ちょっと考えれば分かる話なんだけど、それは「永遠」と「あなただけ」というやつだ。このふたつに通底するのは、人間に潜在する祈りである。

 

ひとは誰しも、特別で固有な存在「あなただけ」として認められたい。あまつさえそれが「永遠」に続くことさえ願う。
それはひとえに、たった1回だけ遊べるクソゲーで自分をやり抜くしかないからなんだけど、せめてそこに意味や価値を見出したい願いが個性を要請している。もちろん、マヌケな日教組が一緒になって個性教育の旗を振ってきた事情もある。実は教育の場で「個性」が謳われるようになったのは戦後からなんだ。人間それぞれの個性を価値として肯定しはじめたのは民主主義である。

 

そういえば、最近マストドンで友人がこんなことを言っていた。

 

「自分が特別枠じゃないと絶対に気が済まないんだよね、特別扱いしてくれない相手には興味がないんだよ」

 

なるほど率直である。
友人はたしかに衆目が認める個性的な人間ではあるけれど、俺はこれを「子どもの言い分である」と断じた。やや気分を害したらしい友人は「僕は精神年齢が著しく低いと自覚してるし大人を繕うつもりもなく散々公言もしてるが…」と抗弁する。

 

消極的な抗弁には少し違和感を感じたのだった。
子どもの振る舞いに開き直っている人間に「子どもの言い分」を指摘して、なぜ反発が生まれたのか。
察するにそれは、自分を特別な存在だと内奥で信じることはさておき、それを他人に求めても当然する発言には、やはり一定の羞恥を覚えたからだと思われる。

 

なんというか、「固有の色」を笑ったところから、いつのまにかずいぶん話が広がってしまった。これがブログの醍醐味だと言い訳することは易しいけれど、SNSとかブログとか、誰もが自分自身のあり方と格闘しているのが現代だとも思う。
一方で、自分らしさとか、個性とか、自分が特別な存在である証明とか、そういう幻想に裏切られた先に人間の成熟があるような気もしていて、自己紹介を管理人から禁じられた俺はいま、人間の成熟などずいぶん昔に放棄した俺はいま、30分で書き殴ったテキストにどんな色が泛ぶのか、少しだけ愉しみな心持ちでいる。

次は何について書こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

日記とブログについて語るときにわたしの語ること

 

 

はい、タイトルからしてハルキストみが深いのをわかって頂けるかとおもいます、どうもおれです。

 

 

個人的に割と長く付き合いのある毛布兄貴から、「日記を書け、カッコ悪くてもいいし超大作じゃなくていいから書け」という脅し、アッいやお達しがありまして、自分の中のルール的に日記って他人に見せるものじゃないんですがまあ書きたいとおもいます。

 

 

 

 

 

まず日記というものについて、わたしの中のルールがあります。そこから明記していきますけど、書いてるおれがいちばんめんどくさいので読むのめんどくさくなったらまあすみません。

 

 

ルール1. 日記の内容が最悪誰にもわからなくていい、読んでる時に文脈が100パーセントわかる人間がわたしひとりであるならいちばんよい

 

ルール2. ぼかさない、ぼかすならばその理由さえきっちり書く(うまくいえないことを理由付きで述べる、と言い換えてもいいのかもしれない)

 

ルール3. 分量を定めない、思い出した時に思い出して書き留めておきたいことを書く

 

 

といった感じでしょうか。

みていただいた通り、わたしの日記は他者の存在が前提じゃないです。読者がわたしひとりという前提を覆す気はあんまりないんですね。だからテキトーに書くし、その時その時で日記の言葉選びの正しさの度合いみたいなものが全然違います。

女性は特に生理周期を測定するために毎日体温を測るひとがいますよね、男性だったらある一定の周期で髭を剃るでしょう、その時に自分がどれだけ"前と違うのか"で自分を見直すとおもうんですが、そんな感じと一緒だとおもってくれていいとおもいます。

 

これはキャスでも言いましたが、日記を書く、しかもmixiやブログではなくアナログにペンと紙を使いながら、という行為は、わたしにとって無駄遣いに浸る贅沢さを味わう意味と、自分の形を伴わない秘密を形作る整理整頓的な意味とがあります。そしてそれはひとりで行うからよりどちらの意味においても精度が上がるのであって、そこにわたし以外の人間は居ないし要らないのですね。

 

 

と、ここまで読んでくると

「じゃあなんでこのブログ立ち上げたの?」

っていう疑問が出てくるのは間違いないです。だってブログって日記じゃないの?ブログがある限り他者の存在は無視できないじゃん、やどかりのバカ!ってことになります。

 

なんの詳しい説明もなくこのブログを立ち上げて、もうすぐ1年が経とうとしています。このブログのルールは基本的に存在しません。それがルールだといってもいいくらいに基本的には自由です。まあ誹謗中傷はやめようね、というくらいです。

どれだけ書いてもいいし、どれだけ書かなくてもいい。

書くひともわたしの知り合いっぽければ基本的に誰にでもアドレスとパスワードを教えています。だからTwitterで知り合った本名さえ知らないひとの文も存在するし、同じキャンパスに通う仲間の文も存在する。

書く順番も決まってないので、全く更新のない月もあれば月に何本もブログが更新される時もあります。本当にムラがあって、そこが逆に面白いんだけど。

 

 

この場を作ったのは、大学の友達が仲間内で共用ブログを作っているのに憧れて真似っこしたのが始まりではあるんですけど、わたしはその"共用"という範囲を限りなく拡げてみました。

共用ブログを立ち上がる時からずっとおもっていたことなんだけども、Twitterは140字しか呟けないという制限の中で表現する場というだけなのにこんなにもたくさんのツイートが洪水のように毎日溢れていますよね。これって日常に即したツールだから勿論その時々によっても上手い下手があるし、長くいればいるほどどうツイートすればうまく言えるのか、うまくたくさんのひとに見てもらえるのか感覚として掴めますよね。だからこの場にいればいるほど、うまく表現できるかどうかの優劣みたいなものが目に見えてくるようになるんだと思っています。

 

わたしはTwitterを始めた時からずっと思っているんだけど、たまにうまく表現できない劣等感に押しつぶされてTwitterにすらいたくないとさえ思うことがあります。好きにやればいいのにどうしてもいうのが恥ずかしくなる。表し方が下手なのをなんとかして隠したくなってしまって。

で、まあ、居場所がないなら作っちゃおうねってことで、こうやって作ったわけなんですよ。あとはやるならみんなも巻き込んでやりたいし、どうせ気持ちよくなるならみんなも気持ちよくなれるような場所にしたかった。気軽に共有できて、かつ書き手個人のプライバシーがある程度守られて、ゆるく繋がっていられるような場で、拘束性がほぼない居場所。サイコーだと思いませんか?

 

 

ということで、今も変わらずこのブログは24時間365日ずっと書き手を募集しています。わたしの知り合いっぽければ、なんて書いたけど、別に知り合いじゃなくて、このブログになんとなく惹かれてどうしても書きたいんです、とかいうひとでもいいです。寄稿するのが一度きりでも構いません。募集しています。

 

 

この話のオチとしては、管理人のわたしがいちばんこのブログに積極的に書こうとしてない、というところです。

相変わらず言いたいことがしっちゃかめっちゃかでまとまってないけど、毛布兄貴許してくれ。

 

 

 

 

 

透子(どこよ @camelzback139)

 

 

 

 

うまくいえないひとたち。

366日目になった。

 

僕がまだうら若きバカだったころ(乙女に対応する言葉が男にはないのは不公平だ)に、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読んで、こんなことを書いていた。

 

ーーー

その糸は、もう二度とほどけないんじゃないかと思うほど、グチャグチャに絡まってしまうことがある。

ほどくために自分が何をすべきか考え、糸が絡まってしまった原因を考え、ほどけなくなってしまう前になぜ気付かなかったのかを考える。その過程で、自分の過ちを想定する。

過ちを償うことはできない。背負うことしかできない。過ちは過ちでしかない。

だが、それは「なぜ?」の答えになる。

この世界では「不明である」という状態が最も恐ろしい。不明だったことが明らかになって、それに納得すれば消化できるし、必要なら反省もできるし、そこまで行ったら忘れることさえできる。

その糸は、ほどけたら失われてしまうのかもしれない。「関係」という、その一本の糸は。

 ーーー

 

そこにいたことを大切にしたい。今だって、いないけどいるんだから、不思議な話だ。

またな。クソッタレ。

 

 

ふわっふわの毛布

 

私とは合わないけど尊敬してる

よく当たると評判の、「しいたけ占い」の乙女座へのアドバイスが更新されていました。


私はハイパー乙女座と呼ばれる乙女座で、現実主義者のくせに占いをわりと良く読みます。

統計学をまぁまぁ信用しているから。「おばぁちゃんの知恵袋」と同じくらい。

乙女座の人らをいっぱい見てきたおばぁちゃんの言うこと、ちょっと参考にしたい。



そうはいっても占いは占いなので、誰にでも当てはまるようなことを書いてある場合が多いわけですが、今回気になったのは"「私とは合わないけど尊敬してるよ」と相手に言うことが大事"だという話。

これって、乙女座に限らず対人関係では大事なんじゃないかなぁと思います。

(乙女座がどうしても他人に合わせたり巻き込まれたりしやすい性質だから、たまには切り離してもいいよという話だとは思いますけど)



"私とは合わない"って言われたら結構ショックだけど、その後に"尊敬してる"なんて言われたら、先ほどのショックを大きく上回って気分上々↑になりますよ。

こんなん、対人関係における魔法の言葉なんじゃないでしょうか……。



私個人は「尊敬する」という言葉は「降伏する」くらいに重い言葉という認識があったので、そんなにポンポン使いません。

でもこれからは少し苦手な人でも尊敬できる部分を探して、正直にそう言っていきたい。


今後私から「尊敬する」と言われた人、私とは合わないけど尊敬してるので許して〜〜!



会いたい人には

どんなに時間が無くても、どんなに疲れていてもその人1人くらいを気遣える余力が残っていたら会いたい人に会いに行きたい。

 

旧友でも好きな人でも知らない人でもネットの人でも沢山の会ってみたい人に出会って話して色んな考え方を知ってみたい。

 

今も変わらずそう思えるのはこの一年で出会ってくれた人と過ごした時間がとても、とても楽しかったから。

 

ありがとう。

 

人と出会うことに対して一歩踏み出してからもうすぐ一年。

 

また一年楽しく過ごしてやるぞ!

 

 

何をするにもまずは健康でなくてはね。

暑い日が続いておりますがこれを読む皆さまもよく食べよく眠りよく心を動かしご自愛下さいませ。

 

 

おやすみなさい。

よい夜を。

 

 

 

お恋