うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

irreplaceable

英語に irreplaceable という単語がある。replaceble の否定系で、日本語での意味は『取り換えられない、代わりの効かない』と言ったところ。転じて『かけがえのない』といったようなニュアンスで、大切な恋人や友人に使われる。また、とてつもないスキルを持った人に対して職場等でも使われる、便利な単語。

 

先日ネットのどこかで見た記事によると、バイト関連の悩み相談で多いのが『辞めたい程大変な思いをしているのだけれども、私が辞めたらお店が回らなくなるかもしれなくて心配で…』というものらしい。バイトでも数年働けばその仕事に対して一通りのスキルセットは覚えることになる。新しいバイトの人たちが入ってくれば、後輩を持ったような気持ちにもなるかもしれない。そういった過程の中で、店長あるいは上の立場の人からなまじ期待をされ、バイトながらもお店に対して責任感も芽生えていく。責任感と言えば聞こえがよいが、『お店が心配で辞められない』という責任感はそもそもバイトが持つべきレベルの責任感を明らかに超過している。

 

日本人の持つ責任感は他の人種の人から見ても特異に見えるという話をよく聞く。私の周りのニュージーランド人や中国人の友人も良く話をしているので、私たち日本人は本来そういうものなのかもしれない。しかしながら、そういった『やめられない』人達は『自分はこの社会の中で掛け替えのない irreplaceble な人間でありたい』という少し屈折した願いから、超過した責任感を持つに至っている気もする。

 

ニュースだって今はコンピューターが自動で作ってしまう時代だし、車の運転だって人間なしで出来てしまう時代だ。人間そのものが replaceble である時代なのだから、自分の irreplaceble性をこの社会生活の中に見出していくのは何かのスキルに特化したスーパーマンでもない限り中々に難しい。だから私たちはそれが間違いだとしても信じたくなるのでないか。『私はこのコミュニティで掛け替えのない存在』なのだと。

 

ニュージーランドでの大学生活が終わり、一ヶ月半程日本をぶらぶらしていた。その時現地でやっていた家庭教師のバイトやアプリ開発のプロジェクトは関係者に話をし、完全にホールドしてもらった。当然のことながら、それでも彼らにとっての生活は止まらないわけで。私が教えるべきだった算数は誰か他の人が教えたかもしれないし、私が作るはずだったアプリの新しい機能は他の人の作業に割り当てられたのだと思う。私は完全に replaceble だった。少し残酷なのかも分からないが、それは当然の事実だった。

 

それでも嬉しかったのは、私が日本滞在中には色々な方から『いつ帰ってくるんですか?子供たちが凄く会いたがっています!』だったり『早く帰ってきて算数見てほしいです!この間の息子の成績おかげさまで凄くよくなっていました!』という連絡をもらえたこと。ニュージーランドに帰ってきたその日にも、『今日帰ってきたの?今日からまた算数見てもらえる?』という連絡を頂いた。私の代わりはいくらでもいるのだから決して irreplaceble なんかではない。しかしながら、それでも、私が近くにいるのであれば喜んで私に replace したいと思ってくれる人たちは確かにいるのだ。

 

責任感を持つことはもちろん大事で、それが良い仕事に繋がっていくことはもちろんある。ただ、度を過ぎた責任感は捨てさった方が楽に生活出来るようになるんじゃないかと思う。言い換えれば、自分は決して irreplaceble なんかではないんだと肯定的に捉えていくことからスタートしてもいいんじゃないかなということ。適度な責任感で肩の荷をおろしながら、適切な距離感を保ちながら社会と関わる。その中でも、やるべきことをしっかりやっていく。そうすれば1人で躍起にならなくても、サポートしてくれる人は自ずと出てくる。

 

そういう社会との付き合い方が出来れば、この社会はとても優しいもので、心地の良い生活しやすいものになるはずで。誰にとってもそんな居心地の良い社会に replace されればいいなって思った話。

 

おしまい。

 

うまくいえないなゆき(@nayukinz)