うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

好きなものの話

根暗が爆発している。

与えられた場に対する最初のアプローチが、ぶつけられるだけ根暗な部分をぶつける感じだった自分に割と引いた。

まぁ仕方ない。済んだことだ。既にあの文字列は僕の手元から旅立って誰かのものになったか、あるいは誰のものでもなくなったのだ。

 

今日は「好きなもの」についての話。

「ゆとり」みたいな世代の分け方が今でもあるけど、そういうくくりで言うと「新人類」と呼ばれる人たちが出てきた1980年代に「オタク」というくくりも登場した。

「新人類」っていうのは高度経済成長を支えた旧世代とは異なった感性や価値観、行動規範を持って世の中に出てきたことからそう呼ばれたらしい。

「オタク」は嗜好性の高い趣味(マイナーな趣味)に没頭している人々なんだけど、もっと言うとその趣味の分野で独自の文化を形成している層を指すのだと考えている。

たとえば誰かに対して「アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージっていうスマホゲームに出てくるキャラクターで渋谷凛っていう女の子がいて、その子が可愛くてね」っていう話し方をする人はオタクではなく、「デレステのしぶりん激推し。限定SSRきたら限界まで石割り待ったなし。いや、みくにゃんもいいけど。結局DDだよね、フヒヒッ」という話し方をする人はオタクである、みたいな。同じ文化圏にいなければ後者の話し方では意味が通じない。

そういう意味では「オタク」と「新人類」は割と似ていて、要するに「価値観を他者と広く共有できないし、するつもりもあまりない」という特徴があったようだ。

意味がわからないものに対して、大概の人は好意的になれない。極端に言うと理解できないから要らねぇ、失せろっていう論理。

「オタク」=「キモい」というイメージの根源は多分ここにある。

 

さて現代の話。「1億総オタク化社会」なんて言葉が生まれた。

みんな何かしら好きなものがあるんだけど、自分が好きなものの話はそれを分かってくれる人とだけできればいいという時代。あるいは、誰もが好きで興味があるメジャーな趣味が食と恋愛くらいしかなくなった時代とも言える。

インターネットが広まってからはあっという間だったよね。コンピュータを通して世界とつながった僕たちは良き理解者を容易に探し出すことができるようになったし、それさえあれば理解のない人たちとの非社会的な人間関係はなくなったって構わないくらいになってしまった。価値観が違う人たちは互いに要らねえ、失せろって論理を相手に振りかざす。

 

「巨人・大鵬・卵焼き」っていう言葉が流行語になるような、みんなが大きなひとつの宇宙の中にいた時代からすると信じられない状況だ。今はたくさんの小さい宇宙が点在していて、その中から複数の宇宙を任意で選択し、そこにそれぞれ違うキャラクターの自分を送り込んでいるような時代なんだ。

 

この文章を書き始めたときね。本当は、今日の競馬最高だったなー。サトノダイヤモンドっていう馬のドラマ性について書いて書いて書きまくってやろうかなー、なんてことを思って書き始めたんだよ。ほんとだよ。

でも結局、違う宇宙にいる人たちに届くだけの言葉を自分が持っているんだろうかと思って、足踏みして考えこんでしまった。

 

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 ほーら!競馬場だよ!たくさん人がいるね!14万人!この人数が同じ空間でひとつのレースに熱狂して声をあげるんだ!興奮するぜ!とか

 

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ほら!これ!カッコいいでしょ!この馬が今日勝った馬でね!競売で2億3千万の値段がついたスゴイ馬なんだよ!これぞサラブレッドの馬体の究極形!とか

 

写真とか数字は強いな。なんか凄そうだもんな。これを超える普遍的な言葉がないんだよな、自分の中に。どうしてもオナニー度が高くなっちゃう気がする。オナニーは野外で見られながらするもんじゃない。お家でしなさい、お家で。

 

 

みんなは違う宇宙にいる人たちに届く言葉を持ってますか? 

 

 

「新人類」のくだりとかだいぶオナニー度高いんですけどそれは見逃してほしい@ふわ毛