「選択肢がある」ということ
「君には選択肢があっていいね」
「僕には始めから選択肢が無いから、自分の中で何とか昇華させるしかない」
君はそう宣う。
確かに。
けれど私には私なりの言い分がある。
それは、君の言う「私が持つ選択肢」とは、私の望まない選択肢だということだ。
「果たして、望まない選択肢があるということは、幸せなことか?」
望まない選択肢なら選ばなければいい。
私もそう思う。でも、選んでしまう。捨てられない。焦燥。寂寥。承認欲求。満たされなくても良いから、そういうもの全てから、私の両眼を覆って、何も感じないようにして欲しくて。
本当に欲しいものは違うのに。
だからいつも「望まない選択肢」を選択した後はやるせなくて、大人ぶっていてもどこかでボロが出る。君が思う程、私は大人ではないんだよ。ただ、欲しいものが手に入らなくて駄々を捏ねている子どもと同じなんだよ。
だから「望まない選択肢」を選ぶ私には、本当に欲しいものを「欲しい」と言う資格すら無いんだろう。
けれど本当に欲しいものは君だよ。
ここにだけ、こっそりと置いておく。
お目汚し失礼致しました。
朔