うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

いいたいこと言い残してきてないままここまできちゃった

 

 

 

タイトルの通りのことをいままさに思いながら通勤している。

GWは他の業者は休みなのにうちは全然仕事で、仕事ももはやなくて何しにきてるか分かんなくなりはじめてるのに、出勤。今日も審査中のお客様に逆ギレされたりして生きてる意味がわかんなくなっちゃってたいへん。

 

 

 

えーと、振り返りからの所見を。

わたしははじめて年号が変わる瞬間を目撃したわけですが、ていうかその時ばっちり寝てたんですけども、自分の生まれた世代が一区切りついて終わっていくことに形容しがたいさみしさを朝起きて感じました。先に進みたくなかったのにな、みたいなきもちだった。自分が舞台で譜めくりをするポジションで演奏していて、見開きの楽譜の1番右下まで行く少し手前の弾かない瞬間で譜面をばさっとめくる時の、あのさみしさにかなり近かった。本番中曲を弾いているとき、いつも「これが終わったら、もう二度と会うこともない気がする」と思っている。このリズムも、ここで音程を正しく保っていることの難しさも、ここで聴こえてくる誰かの音の揺らぎでその人がうまくいったかどうかを判断するのも、これで最後なんだと気づいた時のあのさみしい感じが今日の朝自分の傍にいた。

先に進んでしまったら、終わってしまうから。

でも、平成を総括してみると、わたしの生きてきた時間の短さの中で、わたしはこんな人間になり(なってしまい、の方が正しいのかも)、たくさんの人に会って、たくさんの感情と事情に振り回されて、あるいは逆に振り回してきたのだなとも思います。その中でもずっと変わらず鬱々しくて、ずっとくらいところで生きてきて、これからもそうなのかなという予感で怖くていっぱいいっぱいのまま、ここまで進んできてしまったなという感触でした。いいたいこともいえないで、わたしの思っていることは所詮わたししか思っていないことで、それはほとんど誰かの何にもならず、わたしを救いもしない、こんなことがあと死ぬまでずっと続くの?という不安を、そのまま令和に持ってきてしまうくらい、平成は生まれてから今までしんどい時期だったなとおもいます。もちろん楽しい時もあったんだけど。

これからはもっと自分のこと、嫌いにならなかったり許したりして、もっと生活していくことがたのしいと少しでも思えるようなレベルにもっていけたらいいなあと祈っています。

まあ最も他人からみたら、わたしは自己愛がつよくてわがままなんだと思うけど(実際にそのようにいわれるのでそうなんだろうなとおもう)、でもわたしもわたしでいっぱいいっぱいで、すきなものをすきでいることがつらかったり、余裕のない愛を捧げてしまっていたりするのが難点で、生きていてごめんなさいというきもちで毎日他の人に仕事が頼めないからしょうがなく生きています。早く死ぬので勘弁して!っていっつも思ってる。ほんとうは生きていくことにもっとポジティブで、どこにいても曲が弾き終わってもまたはじめから弾き直せるような、そういうきもちで生きていきたいんだけど。

〈自分のことを大事にする〉がいつになっても覚えられないし、よくわからないままここまで来ちゃったけども。

先に進んで、今よりもっと悪いことが起きても、何度でもやり直せるものがあるとおもって毎日すごしたい、です。

 

 

 

 

以上令和を迎えてもうまくいえないひとたちの代表でした。

ちゃんちゃん