うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

《10月企画》記念日との適切な距離について

□はじめまして、ここで書くのは初になります。更新が遅くなり、すみません。職場の旅行で疲れはてていたら、こんなに日が経ってしまっていました。


□日頃から他人に「参加する前に作品をストックしておきなさい」と口煩く言っているわりには、自分自身ができていなくてうんざりします。

□近頃めっきり文章を書いていなかったので、説明が要領をえないかもしれませんが、生暖かい目で見ていただけると幸いです。




□さて、私は「非日常」というものが好きだ。「非日常」を求めて休日は基本ふらふらと出歩いている。それは近くの公園へ徒歩で散歩することだったりもするし、何時間もかけて海を見に行くことだったりもする。

□知らないことを知る、道行く人に話しかけられる、行ったことのない場所へ行く、上司に怒られる、などなど挙げればキリがない。

□遭遇頻度が低ければとたんにそれらは「非日常」として私に解釈され味わわれることとなる。「ときにしょげながら、ときに喜びながら、「非日常」が好きな私はそれらを愉しむ。

□私にとってどんな「非日常」も人生においては「スパイス」程度の扱いなのだろう。それを見た人は皆、理解に苦しむような顔をする。(思考回路は単純明快なのに



□「記念日」といえば、とても分かりやすい「非日常」の形であるように思う。



□しかし、決まりきったように訪れるようになった「記念日」は最早「非日常」とはいえない為、とても退屈で窮屈だ。何より、記念日を祝うことが当たり前になったとき、それは半強制的な効力をもって私の首を絞めることとなる。

□私にとって一番怖いのは、記念日を忘れて落胆させてしまうことや、それを恐れて窮屈に(神経質に)生きることだ。もうそんなことはこりごりなので、私は「記念日」をなるべく意識せずに生きるようにしている。(これ、伝わるかな?

□意識しないというのは「記念日」を忘れるに近い。というより、かなり頑張れば思い出せるくらいの頭の片隅においておく。これが私の「記念日」との距離感だ。

□その結果、お付き合い一ヶ月を忘れたことに対して、昔の恋人にはキレられたし、誕生日を間違えたことに対してもやはり怒られた。(祝ってほしくば自分の口から言えばいいのだ。と私は思っている。

□私と交遊のある友人たちはそれを知ってか知らずか「まあ、こいつはそういうやつだしな」と放っておいてくれている。

□たまたま気がついて、たまたま気が向いたら祝う。後から気がついてもまあ祝う。それくらいのスタンスで「記念日」とは付き合わせてもらっている。ありがたいことだ。

□私はよく記念日を忘れるけれど、相手が喜ぶのは好きだ。知り合いが近い内、または少し前誕生日であることを思い出すと、大抵手持ちのもので賄う。机の中にある飴だったりなぜか手元にあったゴディバだったりだ。

□また、SNSSkypeなどで連絡を取り合っているときに気がついた場合は、Amazonに頼る。プレゼントの内容としては大体がそのとき話題に上がったものだ。

□ちなみに、今年はAmazonの欲しいものリストの話を友人にした。欲しいものリストを公開していてくれれば、気がついたときに送るからと。
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Amazonの郵送方法等については賛否あるかと思われるが、個人的に欲しいものリストほど良いサービスはないと思っているので、あとはユーザーの気遣い(発送情報画面を相手に共有しておくとか)が大切なのだろうと思う。




□というか、もうこんな時間ですね、私はもう寝ます。おやすみ

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