《10月企画》夢を叶えた日の孤独《記念日》
「将来絶対にこの街なんか出てやる。こんな家出てやる。東京で生活するんだ。そのためならなんだってやってやる」
私は小学生に上がる頃からそう思ってきた。
実家が嫌いなわけではなかった。
家族はそれなりに仲が良かったし、街もそれなりに生活しやすく、友達もそれなりにいた。
それでも、多少不安定な家族も、歩くには少し広すぎる街も、コミュニケーションが苦手ながらにしゃべる私と仲良くしてくれる友達も、すべて投げ捨てて東京でひとり暮らしをしたいという漠然とした思いが、家を出るまで干支一回りくらいの年月をかけて育っていた。
田舎にいた頃の私は、いつか都会に出ることだけを生きるエネルギーにしていた。
ひとり暮らしに憧れていたわけではない。
ひとりになってなにかしたかったわけでもない。
家族と離れて、この不便な田舎から離れて、ただひとりで生きていきたかった。
都会に出ることで自分の苦しみや悲しみが消えると信じていた。
ひとり暮らしをはじめることになった日を忘れることはないと思う。
あの日、実家から車に荷物を詰め込み、母の運転で寮に向かっていた。
都内にある予備校に行くことになり、そのために寮に入ることになったのだ。
実家もちょうど引っ越すことになっていて、車の中はみんなの引越し荷物であふれかえっていた。
「あんた、1年大変かもだけどがんばるのよ」涙ながらの母の言葉すらうわの空で、やっと田舎から出られるという喜びでいっぱいだった。
今考えてみれば、私にとっておそらく田舎から出ることは精神の解放のようなものだったのだ。
いつも近所の人の目を気にしたり、近所のおばちゃんがお茶に上がり込んでくるのの相手をしたり。
あたたかいコミュニケーションと言われるそれは、私にとってとても窮屈に感じられた。
いろんなイベントに行けなかったり、本の発売が遅れがちだったり、いろいろな機会を損失しているような気持ちになったし、田舎暮しがただただ嫌で、東京に異様に憧れと自由を求めた。
窮屈で、不自由で、私の大嫌いな田舎から脱出し、晴れて都会の人間になった日、私は孤独だった。
知らない街、知らない土地にただひとりで生きていくためにいる。
孤独はおそろしくも感じられたが、夢を叶えた私は幸せだった。
どこにでもほしいものを求めて飛び出していける。
ご近所の目を気にしなくていい。
むずかしいご近所づきあいもない。
ひとりで少しさみしさはあれど、生活にくるしむほどではない。
東京で生活していくなかで、どんな辛いこと苦しいことがあっても乗り越えられると信じられた。
夢と孤独を手にした夜、私はひとりで震えながら布団で丸くなっていた。
夢は叶えた。
満足して、人生の終わりであってもいいと思った。
それでも人生は続いていた。
新たな夢、目標はその時にはなく、暗闇の中にいるような感覚は、やはり孤独だった。
昼間に感じた孤独よりも、深い孤独だった。
今でも時々小学生の時の私に「あの時からずっと思い描いていた夢が現実になったよ」と心の中で話しかけることがある。
東京で1人で働く。
目標がなくても、過去の自分が目標にしていたところにいる。
それだけを心の拠り所にして生きていく。
私が小学生の頃思い描いていた夢が手の中にある現実が、とても暖かく感じられる。
あの頃の苦しみも悲しみも窮屈さも、消えたわけではない。
その時から抱えているものもまだ大きな傷として私を痛みつけるし、孤独という新しい影も背負った。
それでも私はこの孤独と幸せに生きていく。
ひとり暮らし6年目、まだ夢も目標もない。
ただ、夢を叶える前の私に恥じない私でいることが私を私たらしめている。
夢を叶えた日、孤独にふるえながら私にはその孤独すら愛おしかった。
この孤独こそ、私の夢だったと気づいた、それが私の夢が叶った日だったのだ。
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かおるん
Twitter: @kaaaaaoruuun