うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

ライチ☆光クラブ(映画)

ライチ☆光クラブが映画化する。

その情報が入ってきた時私は、絶対に観ない。そう思った。

好きすぎるのである。古屋兎丸の最高傑作であるこの作品が。

 

観るきっかけになったのは某動画配信サービスから配信が始まったという通知が来たからだ。私は風邪っぴきで何もできない暇つぶしに観ることにした。

 

違和感は開始5分からだった。

なんだこの雑魚っぽいウルトラ怪獣は。触手モノAVでももう少し作り込んだものを見られるぞ。後の光クラブのカリスマになるゼラがこんな怪獣みたいなものの「お告げ」を信じ切ってしまうなんて。(原作は占い師)

学校教師の臓物を「美しくない」と吐き捨てるあのゼラがこんな醜いものに感化されるはずがない。ありえない。ゼラはちょうど良く美しいけど。

 

まあまだ序盤だし。そう思いながら続きを観るが、あらゆる点で大筋は同じなのに改作部分がすべて原作の良さを潰していると言わざるを得ない。なんなんだこれは。

 

殺戮の道具もパチンコや子どもが使う遊び道具を使うからこそ少年の歪んだ倫理観とのコントラストがつくのだ。いやそれは死ぬやん!という新兵器みたいなもので殺したってそら死ぬやん。ちゃうやん。ちゃうねん。

ゼラに至ってはなぜ死に方を改変したのかわからない。便器に貫かれて死ぬっていう原作だってありえないですよ。けど。中学生が作ったロボットが人工知能を持って動くという所からもうありえない。だから別にいいの。大切なのは「それぞれが一番嫌であろう殺され方をする」という所なの。自身の美にこだわる雷蔵が顔面を潰されたように、ニコが忠誠を誓ったゼラに見捨てられて死んでいったように、ゼラは醜悪で不潔なもの(便器)に殺されなくてはならなかった。

 

しかしゼラ。色気は足りませんでしたが概ね良かったと思います。ソツなく。美しいし。スタイルも良いし。制服も似合う。しかしゼラのつけている手袋。違う。ゼラの象徴である手袋はもっとピンシャンとしていなくては意味がない。往年のタクシードライバーのようであってはならない。何十、何百のストックを持ちそれを関節が曲げにくくなるほどに糊をきかせ、雷蔵あたりにでも完璧に管理させる位で良いのだ。

 

残念だったのがなんといってもジャイボ。みんな大好きジャイボ。どういう事だ。完全にミスキャストだ。たしかに誰よりも難しい役ではあると思う。しかし、少年が青年に変化する直前の儚さや危うさ。それが引き起こす恐ろしささえ纏った色気。そういうものが全くない。美形の役者さんではあったが完全に成長しきってしまった大人の男だ。残念ながらただの色物俳優のコスプレだ。

 

良かった所もあった。メインの舞台となる基地のセット。素晴らしかった。

ライチの造形はオイルの照りばかりが目立って今一つ重厚感に欠けるが、基地の廃墟感、閉塞感は原作で感じたものと全く同じであった。ゼラの椅子や光の文字、薄暗い基地の中のさらに暗い牢にされる空間。このセットをうまく用いて舞台でやったほうが良かったのではないかと思ってしまう。古屋兎丸が原作と書いたが、そもそもは舞台が原作。場面転換も少なく、ほとんど基地内の話。観ていないが再舞台化されたのも頷ける。

 

殺戮マシーンのライチが連れ去ってきて美少女カノンは綺麗でしたね。

芯の強さがもう少し出ていると文句はなかったのですが美しかった。

カノンに関しては美しさが全て。まっすぐ伸びた黒髪も、大きな目も、細長い手足も、白い肌もすべてが理想通りの美少女。

 

タミヤやニコも良かったと思います。タミヤは唯一の普通の感性を普通なものとして、ニコは異常な忠誠心を異常なものとして描いていて。

 

しかしトータルして物足りなさばかりが残る映画だった。

そもそも少年の漠然とした将来や成長への不安や嫌悪が全然伝わってこない。そこから始まってしまった全ての過ちの元凶であるそこが描かれぬままゼラがカリスマとして祀り上げられトップに君臨していて、ただのサイコパス少年団になってしまっている。

大筋のストーリーをなぞっただけの勿体ない映画だった。