うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

昨日の話なんだけどさ

 

 

 

心のキャパシティが限りなく狭く、あるいは真っ当な人間の一般的なそれより明らかに足りないために、すべての物事に対して真っ向から向き合う際に、「これに対して全体の心のどのくらいの部分を割けば適切に対応できるのか」「どのくらいの距離感を保っていれば適切な関係になれるのか」という脳内会議をよくしてしまいがちだ。

 

まあこの会議、何に対してでも、何回もやることにはやるんだけど、結局ぜんぶの関係をおじゃんにしてしまいたくなる突発的な衝動の方が勝ってしまって、たいていのものをぶっ壊してしまうのが常ではあることも今はおいておく。

 

 

 

さて、その会議の議題の具体的な例に「セフレはその時に何人まで必要か」というのがあると思う。

 

 

昨日、東京の西のさびれた街で知り合いと飯を食い、心理テストをしながらそういう話になり、わたしは何人まで必要だろうか、と考えながらバーでなぜかオムライスを頬張っていた。

 

「おれはねえ、1週間に8人だった時があったよ」とそのバーの店長が話に割り込んできたりもして。1日誰とも会わない日があるのに1日に3人会う日があったらしい。いや、そこは満遍なく行くもんじゃないの。3人って、それ2番目に会う人って平均的にどのくらいの時間しか話さないで終わるわけ。ビッチかよ、と思わず呟いてしまった。いや、おれは誰にでもちゃんと付き合おうと思ってたよ、とかいう返しもなんだかなあ、と思ってしまったんだけど。

 

 

それを聞いて、わたしは一時期に精々ふたりだろうなといい、話題を振った知り合いは5人かな、という話になった。

 

 

でもこれって、その人がビッチとか遊び人とかそういう人間性(しかも割とマイナスイメージの方のね、)を映しだすのもそうだけど、その人の心のキャパシティの広さもある意味示していることにならないだろうか。

 

 

わたしはわりと他人のことを、深く、からだごとというレベルで、受け容れる容器としてはあまり向いてない。ていうかそもそも人づきあいが死ぬほど悪い。飲みにいこうよ、と言われた時に大抵はどうやってやり過ごそうかなということを考えてしまうタイプの人間なので。

別にからだを受け入れたら心も受けいれるというわけでもないんだよな、ただ会ってしまうともう簡単には分断できない何かに成り下がってしまうから、自然と「この関係がおわる時はどんな時だろう」と考えざるを得ないということなんだとおもう。

 

 

だから、なんとなく一時期にたくさんのひとをそれなりに受けいれられるといった目の前の知り合いふたりを、どこか羨ましい目でみている自分がいて。

自分はまだまだ人間的に不完全なのかも、と変に落ちこんでしまったんだよ、という話だった。今日お酒やめとくねえ、と数分前の発言を早々に撤回して飲んだウォッカが美味しかったのにも関わらず、酔いがすぐに醒めるのが堪らなくさみしくなった水曜の夜の話でした。

 

 

 

 

 

透子