うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

わたしたちはずっと静かだった

 

 

高校生のどのクラスの時も、奇跡的に教室の隅っこに席があった。1年生の時は一番廊下側の列の一番後ろ。2年生の時は一番窓側の列の後ろから2番目。3年生は震災後に移った新校舎の教室で、誰も座ったことがないという特権をもった、一番窓側の列の一番後ろだった。

1年生の時の4限、お昼後の古典の授業の景色を未だに思い出せる。当時、自分の体が太ることで見た目が変わることと、食べ過ぎて授業中眠るのがずっと怖くて、お昼に食べるお弁当を半分残して残りは放課後の余った時間に食べる癖がつきはじめた頃だった。いつも通りお弁当の下段のご飯は半分だけ残し、おかずもまばらに残しておいて、余ったお昼休みで次の時間の予習のチェックをしたり、譜読みをしたりして過ごしていて、4限が始まる。古典の先生はおじいちゃん先生だった。教え方がうまいとずっと前の先輩からよく聞いていて、まったくの噂通りに授業はおもしろかった。その時そう思っていたのはどうもわたしだけのようだったけども。わたしは楽しみな授業の時ほど予習を念入りにして、ノートにびっしり書くタイプの妖怪だった。あの暑い夏の時もそうで、開け放たれた窓から吹き込んでくる風のここちよさと昼休みの直後という魔法で、この授業に興味のないクラスメイトは静かにかつ分かりづらいような格好で目を「閉じて」いた。カーテンははためかないように同色のタッセルで留められており、両開きのまま綺麗にセンター分けされている。どのカーテンもその仕様にしていると、若干教室が暗くなるから静かになるには最適の環境だった。わたしはあの先生が次に述べる文章のことを思い浮かべながら、次の箇所のノートのページをもうすでに開いて、ときおり頬杖をついて動かないみんなを眺めていた。隣の席の男子は、わたしより平均的に成績がよいひとであったので最初の方は起きていたが、次に見たときには目を閉じてバレないように、額に肘をついた両手をうまくあてて「静かに」していた。ここの人たちは、成績のよい人・教師のいうことについて反感をもち常に態度に表す人・同じ話題ができればその時その場では特に問題としない人、などさまざまなグループが存在していて、わたしはどこにも属していなかったので、どこのグループの人たちとも話せたがどの人とも親密にはなろうとはしなかった。そういう距離感のひとたちがいっせいに機械のように動かなくなって、その空間が静けさを含んで膨らむのを感じたりするのがすきだった。先生はみんながそうして「静かにして」いることについて、特に大きく咎めたりはせず、仕方ないといったようなふうだった。ただ起きて授業を板書したり目で先生を追う人については、きちんと目を合わせて回答をくれるひとだった。今日も変わらず、わたしは誰も動かない教室で、黒板と先生と自分のノートを見渡して、先生が板書している間にみんなの動かない空気を見ているのが、この世でいちばん安らいだ気持ちになれた。この授業が永遠に続くのも悪くないなと、あの時ずっと思っていた。古典の先生ならではの達筆な板書、いつも持ち歩いているチョークケースは木箱で、中身がカラカラ鳴らないのは箱にみっちり新品のチョークを入れているから。先生が眼鏡をあげるとき、今日は暑いから適宜水分を補給してよいといいながら手でみずからを仰ぐとき。

「はい、ここはテストに出すが、」

その言葉だけ大きく、聞こえない人にも聞こえるように先生が発声するので、わたしのすきな空気はすぐに壊れてしまう。みな静かに板書していたと言わんばかりに、頭がきょろきょろ動いて、自分の記憶にない黒板の字とノートを理解が追いつかないまま目で追いかける。あーあ、静かでなくなってしまったな、と思って、わたしはひとりで誰にも気づかれないように笑う。