ひどい風邪の時に嫌いなテレビを観て元気を貰った話
昼過ぎまで寝た。いや、正しくない。起きたら昼過ぎだった。
4時と5時半くらいに咳が止まらなくなって2度目が覚めたのは覚えている。
そこから咳止めの頓服を飲んだ。大きくて白い錠剤を4つ。医者は副作用で眠くなるから寝られない時だけにしなさいと言っていた。咳が止まってよく寝られるなら一石二鳥だ。
しかし寝すぎた。背中も痛いし耳の奥の方が重い。寝すぎたせいか風邪のせいかわからない。今日はひどく天気がいい。
とりあえず歯磨きをすると寝ていた時に止められていた分を回収するかのようなけたたましい咳が出る。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになる。食道も胃も腸も全部ひっくり返って出てきそうだ。最近は毎朝こうだ。私は大げさな人間なので死ぬ、という言葉が自然と浮かぶ。それと同時に彼氏にだけはこの顔見せられないなあ、と思う余裕がある。
誰もいないリビングのテレビがつきっぱなしになっている。吉本新喜劇だ。テレビの音はきんきんと耳と頭に響くので好きじゃない。
あたためるのが面倒なので熱いコーヒーに冷蔵庫から出した牛乳を1:1で注ぎ足したぬるいミルクコーヒーを飲む。トーストも焼かずにバターだけを塗る。消しゴムのように硬い。柔らかいパンがバターとバターナイフで押しつぶされる。気にしない。無理矢理パンの耳でナイフに残ったバターをこそげ取る。奇妙な形に変形したパンを半分に折ってミルクコーヒーでちびちびと流し込む。飲み込むたび、腫れた喉が痛む。
テレビでは間寛平と池乃めだかがセットの長椅子を使ってごちゃごちゃと何かをやっている。池乃めだかちっちぇーなあ。トムとジェリーのようにちょっかいを掛け合うじじいふたり。観客の笑い声。それに応えるように更にヒートアップするじじいふたり。
私が生まれる前から、小学校を卒業し、中学、高校、大学まで卒業し社会人にさえなっているのに、新喜劇はその間ずっと続いているということにただ感心する。環境がどれだけ変わっても変わることなく続いているものがあることは、それだけで安心する。
やたらよく伸びる白いズボンにがらくたを詰められるだけ詰め込んだ寛平ちゃんが歩くたびにガチャガチャとうるさい音がする。池やんがやかましいなあ、とつっこむ。寛平ちゃんが前チャックの間からタコのオモチャを覗かせて「こんなん出てきた!」という顔をする。すかさず「いやアンタが入れたんや!」と池やんがつっこむ。なんと、しょうもない。しかし、なんと平和な笑いだろう。
なぜかここで、私は涙が出てきてしまった。
誰も傷つけず、何も笑い者にしない、笑い。大御所のじじいふたりが、小学生でもしないようないたずらっぽい笑いで会場を包む。これこそ理想ではないか。
風刺やいじり、時には差別で笑いを取る手法はアングラな人気を誇るし、それを悪く言うつもりはない。けれど、こんな方法で、人を笑わせる事ができるのだ。きっと誰にでもできる事じゃない。寛平ちゃんと池やんだから成立するのだ。
今日はひどく天気がいい。