うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

《10月企画バトン》夏がくるたび

茜色がすぼみ、静かに広がる紺色が深くなる様を、時おり見上げながら歩く。
全身にまとわりつく熱く湿った空気とは、コンクリートの建物の中へ足を踏み入れたとき、別れた。

ひんやりとした空気のなか、階段を昇っていく。
盛んと働く換気扇の音が聞こえ、懐かしいにおいが漂う。

揚げ物だろうか。

空腹感をはっきり意識したとき、私たちは自然と小走りになった。

「ただいまー!」
脱いだ靴をそのままに、居間へ走る。
「やっぱりね!」
両手の荷物をその場に放り落とし、大皿の唐揚げをひとつつまむ。母の唐揚げは、私の大好物だ。
後から来た妹が、あっ、と声をあげた。
「これ!私のすきなやつじゃん!」
唐揚げの隣にある大皿を、指さして言う。
大場で巻いた茄子が、皿いっぱいにのっていた。
ところどころはみ出た味噌が、焦げていた。
「ばあちゃん生きてたときよく作ってくれたよね!味噌焦がしちゃったけど。焼き加減が難しいっけなあ」
「いやあ、久しぶりだあ、まさかこれがあるとは!やるね、母さん」

してやったり、という顔の母と、目を丸くする妹。二人の会話を、唐揚げ片手にぼうっと聞いていた。
私には、何の話かさっぱりわからなかった。

****

翌日朝早く、バス停へ向かう。
盆の帰省客にまじって乗り込んだバスは、ひたすら山道を走る。

ほとんど陽の当たらない山あいの集落で、降りた。あのおかずを作った祖母が、かつて暮らしていた家へ向かう。
納骨を行う予定だった。
今にも雨が降りだしそうな、暗くて重たい雲が、空を覆っていた。

家の前まで来ると、庭が見えた。
一面、緑色の雑草だった。
うんと高く咲くひまわりを、額に手をかざし、まぶしそうに眺める祖母がいたあの庭と、同じ場所とは思えなかった。

祖父と叔父だけが残った家へ入ると、知らないにおいがした。祖母が気に入っていた鳥の置物はほこりだらけで、よく見るとそばかすのようなカビがはえていた。

真新しい仏壇のある畳部屋では昔、お手玉を教わった。小豆の入ったあのお手玉は、祖母が作ってくれた。その行方はもう、わからない。

ただ、寂しい気持ちになるだけだった。

****

納骨の時間が近づいてきた。
家を出ようとしたとき、雨が降ってきた。
霧雨だったけれど、お骨が濡れないよう風呂敷で包み、両手で抱えて車に乗った。

墓が見えてきたところで、雨は本降りになった。
季節は夏の盛り。
でもこの日の雨はとても冷たく、身体の芯まで冷えた。

和尚さんの読経は、傘を打つ雨の音で、聞こえなかった。

皆の黒い傘は、咲いた花のようだった。
祖母がどこかで目を細め、この黒い花を、眺めているような気がした。

読経が終わり、お骨を納めようと墓石をずらすと、雨がさらに強くなった。
ざああという大きな音に皆が顔を上げたとき、祖父が大声をあげた。

「あーあ!ばあだべ!ここでひとりこになりたくねえって、忘れるなよって、泣いでんだべ!ほんに、すぐ泣ぐもの……」

祖母の涙にうたれながら、私は、昨日のあのおかずを思った。
祖母の家には色々な思い出があった。でも、あのおかずのことは、何も思い出せなかった。
姉ちゃんも一緒に食べたよ、と妹が言うのだから、私も食べたことがあったのだろうが、忘れてしまったらしい。

これからきっと、もっとたくさんのことを忘れていく。忘れるほど、ばあちゃんには会えなくなるだろうことを思いながら、再び、墓石が閉じてゆくのを見ていた。

****

納骨から数日が経ったある日、夕飯の買い出しにスーパーへ出掛けた。
野菜コーナーで茄子を見かけ、思わず手に取る。
小走りで大葉も探し、かごにいれた。
予定を変更し、あのおかずを作ることにした。

あの日、母に聞いたとおりに作った。
やっぱり味噌が焦げた。

「ばあちゃん、来年は焦げないように、作るからね」

両手を合わせて、目をつむる。
夏のこの時期だけでも毎年、祖母に会いたいと願う。

眼を開き、箸を手に取った。

****終わり*****


長くなってしまいましたが、
ここまで読んでくださった方、おりましたら、深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
お題は【すきなひと】でした。

記憶の中でしか会えない【すきなひと】が
私を生かしてくれているのだと思う日々です。