うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

ロールプレイング

「おれおれ!おれだよ!おれ!えっ?!おれだよ〜〜?!おれのことわかんない〜〜?おれだけど〜〜〜?!」

 

ダメ、絶対。ダメですよ。ちょっとボケてる善良なおじいちゃんおばあちゃんの預金をさ。ダメだよ。全国の高齢者の箪笥に875兆円が眠っているとか言うけどさ。どんなにワープアだからってダメだよ。今からなりすましの話をするけど、それは悪意じゃなくて希望の話なんだから。

 

さぁみなさんどうですか。日頃からキチンとなりすましてますか。

考えてみよう。なりすましてるでしょ。この現代社会、毎日毎日仮面をとっかえひっかえで大変な人もいるんじゃないですか。

僕はそらもう、なりすましまくりですよ。仕事に行けば「なんかいつもダルそうにしてる飄々とした感じの人」だし、家に帰れば「献身的に家事やら恋人の世話やらするけど、どこか抜けてるうっかり者」だし、友達の前では「几帳面で細かくておしゃべりで意地悪だけどなんだか憎めない人」だし、インターネットでは「ソシャゲの沼にハマったアタマのおかしい競馬おじさん」ですよ。一応言っておくけど、大体自称じゃないですよ。

 

現代人が当たり前のように行う「キャラクターの使い分け」の一例なんですけど、まぁどれかが本性だということもなく、環境や立場に応じて過ごしやすいキャラクターになりすますわけです。

もちろん誰もが何者にでもなれるわけではない。人にはそれぞれ引き出しというものがあるし、無い袖は振れない。

それでも「私は私だし、私以外私じゃないの。私を私として受け容れてくれる人としか関わりたくないんだもん。私私。私私私私私私私私私私」なんて言ってたら生きづらさマックスだろうし、全てから拒絶されているような気分になるときもあるだろう。ハートが複雑骨折でアタシもうオカしくなっちゃうみたいな状況になりかねない。 絶望ですね。

だからなりすます。適応するための戦略として。一度各コミュニティで各キャラクターが居場所を得さえすれば、あとは慣性に従うだけでいい。キャラは勝手にひとり歩きしだすから。

 

「人生とは物語である」みたいな価値観は生きやすくさせてくれるよという話だったんですけど、うまく言えたかな。

主人公をいろんな物語に同時並行で登場させると、物語の外側にいる作者はカオナシになっていくから、その辺のことだけアホの子みたいに「よくわかんなーい」つってハナクソをホジっておかないといけないんだけど。

ハナクソもたまにはホジらないとね。たまには。ティッシュを使ってホジるか、ホジったあとは手を洗おうね。おじさんとの約束だぞ。

 

ふわっふわの毛布 (@soft_blanket101)