好きなもののためにいきていく
「自分って何を目標にして生きていたいんだろう」と自覚してしまう瞬間がよくある。
そういう時は、用を済ましてできる限り早く帰宅して、部屋にずっと籠ってしまう。そして今まで自分が大好きだったものを必死にかき集めて、ずっとずっと、眺めている。好きだったものを今でも好きなのかどうか確かめたり、とにかく好きなものに触れている時だけが自分の全てを肯定してくれるような気がしている。部屋の本棚、クローゼットにしまってある服、youtubeのお気に入りに登録してある曲、どこにだってわたしの大好きだったものは詰まっている。
私は、かつて自分が好きだったものの多くを、今でも好きだと感じる。
そしてそれに触れる時間を、他の何よりも大事にしている。それは時折、いま大事なものよりも大事だと思うことがある。
それは、一種のおまじないで、鎖で、信条で、あるいはアイデンティティだと思う。昔好きだった恋人を忘れられないずに立ち尽くすひとがどことなく他の人と一線を画した存在に一瞬見えるのは、そういうことだと思う。
最近までそうやって現実のつらいことから目を背ける自分をどこか許せないでいたんだけど、でも許せないとしたってどうやって逃げたらいいか分からないから。
好きなもののために生きていく自分を、いつか心から好きになりたいと、ずっとずっと昔から思っている。
透子