うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

The Wind-Up Bird

最近また夏目漱石の「こゝろ」を読み返している。

伝えなきゃいけない大事なことが言い出せなくて、言わないでいるうちにどんどん取り返しがつかなくなって、嘘までつく羽目になって、それでも自分のプライドや世間体が大事で、恥をかきたくなくて、足踏みしているうちに相手が自殺してしまって、伝えられなかった後悔が人生のすべてを覆い尽くす話だ。

 

自分の視界からいなくなってしまって二度と会えないし話すこともできない相手は、死んでしまったのと同じだなと思うことがある。

自然の成り行きでそうなったのならほとんど気にすることはないけど、何かの拍子に疎遠になったり、自ら遠ざけてしまったりした相手には、大抵伝えたかったことが伝えられないまま、心の底の方に沈殿してしまう。たとえば恨み節とか、弁解とか、謝意とか、好意とか。

 

そうなる前に伝えたところで相手との関係は何も変わらなかったということの方が、きっと多い。

だけど「あんなこともあったけど、今ではそれも糧になったよね」なんて美談にして整理をする、生ゴミ処理機みたいな人間にはなりたくない。

犯した過ちを償うことなんかできないんだからずっと背負っていかなければならないし、負わされた傷はちょくちょく自分でカサブタを剥がしてその痛みを忘れないようにしなければならない。

それがイヤなら、たとえ自己満足だとしても、伝えるべきことは伝えて消化すべきなのだ。

 

今日も明日も明後日も、1日分だけ色んな世界にねじが巻かれる。色んな世界が1日分だけ動く。

気付かなければならない。突然、大事な世界のねじが巻かれなくなってしまう、その前に。