徒然と戯言を
大好きな人がどこかで笑っていたらそれでとても幸せ。
見えるところに居なくても生きているのが分かるだけでもいい。
もし死んでしまったら、一緒に新しいものを共有できないしもう二度と触れられないからとてもとても悲しいけれど、覚えているからきっと大丈夫。
楽しそうに話すその事柄の向いている先がわたしだったらとてもとても嬉しいけれど、誰に向いていても構わない。
そんなに楽しそうに想えるひとがいて良かったねって思う。素直にそう思う。
幸せならわたしも幸せ。
でもどっかで生きてたらそれで十分。
きっとそっちじゃないよ。って思うとき、言葉をかけてしまうわたしは子どもかな。
本当に声をかけて欲しいひとは別にいるしそのひとでしかわだかまりが解けないだろうと分かっていても井戸の底に落ちていく何かに手を伸ばすように慌てて何か声をかけてしまう。
結局届かないし、欲していないお節介をまたしてしまったなって落ち込む。
選んで進むのはそのひと自身だからね。
上手くいったらそれが一番。
でももしその事柄が上手くいかなくてもわたしの大好きな人たちだもの、しっかり休んで上手くいかなかったその中から必要なものをきっちり掴んでまた笑うよね。
見守ろう。
いつも同じようにしっかり立って、頼りたいと思われたときにそのひとにただ上手に寄り添えるひとになりたい。
いつでも静かに穏やかに笑っていたい。
ざわざわするときは自分に籠ろう。
落ち着いたらまたちゃんといつものところにいつものように立とう。
病んでないよ笑
でもいつもそう思ってる。
難しくてできない日がたくさんだけどw
わたしの大好きな人たち、どうかいい夢を見ていますように。
どうか泣いてもまた立てますように。
疲れが癒えますように。
できたら笑っていますように。
お恋