うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

らーめん山頭火 旭川本店 しおチャーシューめん

 今回は北海道旭川においてまさかの塩ラーメンで有名になった「山頭火」です。

 

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旭川で有名なのは醤油ラーメンですが、ここの本店は数年前まで開業当時のまま「しおらーめん」しかなかったというお店なのです。(今はしょうゆ、みそなどのメニューもあります)

 

個人的には「山頭火はしお!」という思いがありますので、今回は「しおチャーシューめん(980円)」を注文

 

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まず目に飛び込んでくるのは赤いカリカリ梅、山頭火のしおらーめんと言えばこれが外せない!

 

 

スープはしおらーめんと言っておきながらのまさかの白湯とんこつ。キクラゲや白ごまが乗っているのでほぼ九州とんこつに見えてしまうという、「本当に旭川のラーメンなの?」と疑ってしまうような見た目ですね。

しかしそこはしおらーめん、飲んでみると意外とあっさりしていて口当たりがよく、そしてとんこつのコクもしっかりあるという、これぞ山頭火のしお!

 

 

麺は、中細の縮れ麺。旭川ラーメンといったらこの麺です。中細がほどよくスープに絡んで美味しいです。

 

 

そして山頭火のもう一つの顔が、とろ肉チャーシュー。味がしっかりと染みており、そして口の中に入れたらすぐにとろけてしまいそうなほどやわらかく、とても美味しいチャーシューです。本当にこのチャーシューは絶品なので、ここでラーメンを食べるときはちゃーしゅーめんか特選とろ肉らーめんをオススメします。

 

 

これからの寒い季節、美味しいラーメンを食べて温まっていきたいですね。

 

[データ]

●店名:らーめん 山頭火 旭川本店

●住所:北海道旭川市1条8丁目348番地3 ささきビル1F

●営業時間:11:00~22:00(ラストオーダー21:30)(冬季期間は11:00~21:30、ラストオーダー21:00)

●定休日:なし

 

股ずれ大五郎

 

好きなものの話

根暗が爆発している。

与えられた場に対する最初のアプローチが、ぶつけられるだけ根暗な部分をぶつける感じだった自分に割と引いた。

まぁ仕方ない。済んだことだ。既にあの文字列は僕の手元から旅立って誰かのものになったか、あるいは誰のものでもなくなったのだ。

 

今日は「好きなもの」についての話。

「ゆとり」みたいな世代の分け方が今でもあるけど、そういうくくりで言うと「新人類」と呼ばれる人たちが出てきた1980年代に「オタク」というくくりも登場した。

「新人類」っていうのは高度経済成長を支えた旧世代とは異なった感性や価値観、行動規範を持って世の中に出てきたことからそう呼ばれたらしい。

「オタク」は嗜好性の高い趣味(マイナーな趣味)に没頭している人々なんだけど、もっと言うとその趣味の分野で独自の文化を形成している層を指すのだと考えている。

たとえば誰かに対して「アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージっていうスマホゲームに出てくるキャラクターで渋谷凛っていう女の子がいて、その子が可愛くてね」っていう話し方をする人はオタクではなく、「デレステのしぶりん激推し。限定SSRきたら限界まで石割り待ったなし。いや、みくにゃんもいいけど。結局DDだよね、フヒヒッ」という話し方をする人はオタクである、みたいな。同じ文化圏にいなければ後者の話し方では意味が通じない。

そういう意味では「オタク」と「新人類」は割と似ていて、要するに「価値観を他者と広く共有できないし、するつもりもあまりない」という特徴があったようだ。

意味がわからないものに対して、大概の人は好意的になれない。極端に言うと理解できないから要らねぇ、失せろっていう論理。

「オタク」=「キモい」というイメージの根源は多分ここにある。

 

さて現代の話。「1億総オタク化社会」なんて言葉が生まれた。

みんな何かしら好きなものがあるんだけど、自分が好きなものの話はそれを分かってくれる人とだけできればいいという時代。あるいは、誰もが好きで興味があるメジャーな趣味が食と恋愛くらいしかなくなった時代とも言える。

インターネットが広まってからはあっという間だったよね。コンピュータを通して世界とつながった僕たちは良き理解者を容易に探し出すことができるようになったし、それさえあれば理解のない人たちとの非社会的な人間関係はなくなったって構わないくらいになってしまった。価値観が違う人たちは互いに要らねえ、失せろって論理を相手に振りかざす。

 

「巨人・大鵬・卵焼き」っていう言葉が流行語になるような、みんなが大きなひとつの宇宙の中にいた時代からすると信じられない状況だ。今はたくさんの小さい宇宙が点在していて、その中から複数の宇宙を任意で選択し、そこにそれぞれ違うキャラクターの自分を送り込んでいるような時代なんだ。

 

この文章を書き始めたときね。本当は、今日の競馬最高だったなー。サトノダイヤモンドっていう馬のドラマ性について書いて書いて書きまくってやろうかなー、なんてことを思って書き始めたんだよ。ほんとだよ。

でも結局、違う宇宙にいる人たちに届くだけの言葉を自分が持っているんだろうかと思って、足踏みして考えこんでしまった。

 

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 ほーら!競馬場だよ!たくさん人がいるね!14万人!この人数が同じ空間でひとつのレースに熱狂して声をあげるんだ!興奮するぜ!とか

 

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ほら!これ!カッコいいでしょ!この馬が今日勝った馬でね!競売で2億3千万の値段がついたスゴイ馬なんだよ!これぞサラブレッドの馬体の究極形!とか

 

写真とか数字は強いな。なんか凄そうだもんな。これを超える普遍的な言葉がないんだよな、自分の中に。どうしてもオナニー度が高くなっちゃう気がする。オナニーは野外で見られながらするもんじゃない。お家でしなさい、お家で。

 

 

みんなは違う宇宙にいる人たちに届く言葉を持ってますか? 

 

 

「新人類」のくだりとかだいぶオナニー度高いんですけどそれは見逃してほしい@ふわ毛

愛しい君へ

今日もまたこの時が来てしまった

君と離れ離れになってしまう朝


「このままずっと、一緒にいたい」


やさしい君は何も言わずに抱きしめてくれるだろうけど、世間がそれを許してくれない


ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに




酒を飲みすぎてベロベロになったとき、失敗をして落ち込んでいるとき、風邪を引いて寝込んでいるとき、君はどんな時でもずっとそばにいてくれたね

君の安らぎとぬくもりにはいつも助けてもらっているね、本当にありがとう



それじゃあ僕は行くね、今日は寄り道しないでまっすぐ帰ってくるよ






大好きだよ
















お布団

股ずれ大五郎

真っ白な灰に何の意味がある

本意ではなく誰かを傷つけてしまったとき、割と落ち込んでしまいます。謝って済むことならそれでいいんですけど、たまに大袈裟じゃなく人生狂わせちゃったなってレベルでやらかすこともありまして。

 

罪障感という言葉があります。

罪の意識に苛まれて、一生その罪を抱えて生きていかなければならないという宿命を背負ってしまったという意識。誰かを傷つけたことが自分の心の傷にもなってしまうこと。

たとえば「あしたのジョー」(例が古い!)で、ライバルの力石徹をリング上で殺してしまったがゆえに自分もリングで死なんとする覚悟でボクシングと向き合う矢吹丈の心の中にあるのが、罪障感。

 

「私は罪障感を抱えています」という旨をアピールをしていた頃がありまして。 いや、未だにやってしまうこともあるんですけれども。それは置いといて、そんなことを言うと周囲の人たちは「大丈夫だよ。悪いのはあなただけじゃないし、そこまで気に病む必要はないよ。仕方がなかったんだよ。」という当たり障りのない反応をします。それはそうですよね。だってめんどくさいもの。

当然こちらも後には引けません。「いや、やっぱり自分は罪人だよ」と。

 

今でこそ自分に「酔ってんじゃないよボケ!なんぼのもんじゃい!」と言いながら脳天にチョップをしたくなったりもしますけど、そのときは酔ってますからね。シラフで酔ってる人ほど醜悪なものはないのに、そんなことにも気付けませんでした。

不思議ですよね。ナルシシズムなんてリスキーなものでしかないのは、そこら中で展開されるナルシスト批判を見れば誰にでもすぐ分かるのに。

 

美学はあった方がいいし、自己愛も用法用量を正しく守れば良い薬。罪の意識を抱えて生きるのだって自戒がその後の振る舞いに活きてくるなら、とても有用じゃないですか。

だけどそういうのは心の内に秘めておかないと、価値がプラスからマイナスに転じてしまうことが多いんですよね。沈黙は金です。

って、ブログでベラベラ語ってから言うようなことじゃないですが(笑)

 

昨日のことよりも、あしたのために。

背負うなら未来のことがいいな。

好きなもののためにいきていく

 

 

「自分って何を目標にして生きていたいんだろう」と自覚してしまう瞬間がよくある。

 

そういう時は、用を済ましてできる限り早く帰宅して、部屋にずっと籠ってしまう。そして今まで自分が大好きだったものを必死にかき集めて、ずっとずっと、眺めている。好きだったものを今でも好きなのかどうか確かめたり、とにかく好きなものに触れている時だけが自分の全てを肯定してくれるような気がしている。部屋の本棚、クローゼットにしまってある服、youtubeのお気に入りに登録してある曲、どこにだってわたしの大好きだったものは詰まっている。

 

私は、かつて自分が好きだったものの多くを、今でも好きだと感じる。

そしてそれに触れる時間を、他の何よりも大事にしている。それは時折、いま大事なものよりも大事だと思うことがある。

 

それは、一種のおまじないで、鎖で、信条で、あるいはアイデンティティだと思う。昔好きだった恋人を忘れられないずに立ち尽くすひとがどことなく他の人と一線を画した存在に一瞬見えるのは、そういうことだと思う。

 

最近までそうやって現実のつらいことから目を背ける自分をどこか許せないでいたんだけど、でも許せないとしたってどうやって逃げたらいいか分からないから。

好きなもののために生きていく自分を、いつか心から好きになりたいと、ずっとずっと昔から思っている。

 

 

 

 

透子

 

 

救いは理解の中に

アタシね、ステージに立つたびに思うことがあるの。あそこにはバケモノが棲んでいて、立ち続けると自分もバケモノになっちゃうって。

もう既にバケモノになってる、って何よ。うるさいわよ。アンタほんとブスね。そういうところよ。失礼しちゃう。

話がそれちゃったわ。バケモノ、そうバケモノよ。

 

ステージに立つのは快感。痺れるわ。視線がアタシに集中する。あそこはアタシの一挙手一投足が人の心を動かす場なの。

それは裏を返せば、常に人の視線に晒されて評価される場でもあるってこと。観客は容赦ないわ。アタシがちょっとでも上手く踊れなかったら、簡単に心が離れていくんだもの。

だからできるだけ見ていたいと思わせるために必死になる。心も身体も厚化粧をして、自分が誰なんだか分からなくなっちゃうくらいに飾り立てる。

そういう意味では、ステージに立つ人間には自分を大きく見せることができるかっていう資質が要求されるわね。その虚栄心すら見透かされちゃいけないんだもの。人を騙すためのウソをつき通せなきゃ、そこには立っていられない。

 

そんなことをずっと続けていて、ある日鏡を見て思うの。このバケモノは元々どんな顔をしていたんだっけ、って。

それでもアタシはステージに立ち続ける。アタシはアタシの存在を証明する手段を、他に知らないから。

 

ほんとバカみたいよね。どうかお願い。笑ってちょうだい。

笑われることが、アタシを救うわ。

逃げるは恥だが役に立つ

背中の傷は武士の恥だ。

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり。

貴様はそれでも軍人か。

 

いわゆる「男らしさ」はあらゆる意味での「強さ」であり、厳しい状況に屈することなく、逃げないことが美徳とされたし、未だにそういう向きもあるだろう。

 

今よりもさらに若くて稚拙だった頃、自分自身に対して目の前の困難を放棄することを許さない時期があった。今思えば与えられた困難自体がぬるかったし、それは不可能ではなかった。それでも周りにはそこから逃げ出す人がいたし、逃げ出さなかった自分と、そこで得たものを誇っていた。

 

あるとき、私は逃げ出した。

積み重ねてきたことが不意に信じられなくなってしまって、そこにあったはずのものが急に見えなくなってしまって、足場がどんどん崩れてしまって、いつ谷底に落ちて死んでしまうとも限らないという状況が、突然、本当に突然訪れた。

そして私は逃げ出した。

しかし、まわりこまれてしまった。

私は逃げ出した。

しかし、まわりこまれてしまった。

私は防御した。硬くなって殻に閉じこもった。物言わぬ貝になった。ギリギリだった。

 

膨らんだ泡はいつか弾けて消える。それだけのことだった。自然の摂理だ。よくある挫折に対して、人よりも少し大袈裟なリアクションをとってしまっただけだった。

閉じこもった殻の中からチラチラと外の様子をうかがって、やっと這い出したら1年経っていた。幸いなことに、周囲からは許容された。

ただ、私はもう武士には戻れなくなった。それこそ、背中の傷に恥を感じてしまうから。

 

色んなことを、主に自分自身を諦めた私は、いまや百姓丸だし、晴耕雨読といった感じの日々を過ごしている。

それを肯定する以外に道はないのだ。

逃げるは恥だが役に立つ

 

私は都合の良い生き物だが、今は足場が揺らいでいない。きっとそれでいいのだ。