うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

いつまでもゆううつなひとたち

 あなたたちがどんな気持ちで飛び降りたのかは分からない。

  ***

 誰かが一言『上っ!』と呟けば、上方になにか得体の知れない不安が膨らんでゆく。そういう時代だった。パキシルロヒプノールセルシンをすり鉢に放り込んで、何食わぬ顔で学校に向かう学生であふれていた。教室を天井から俯瞰すると、その大半は俯いていて、最後列ではまるで幽霊のようなメンヘラリティが手首を切っていた。救われようと思ったらそうすることができたのに、みんなこぞって地獄に堕ちたがっていたように思う。

 地獄に堕ちるならより早いほうがかっこいい。飛び降りるマンションはより高いほうが尊敬できる。よりダイナミックに死ねば一躍ヒーローだ。まさにそういう時代だった。もちろんそれは正しくて、死んだものがより強い正義だった。だから頭の冴えている奴から順番に飛び降りる。もう誰にも止められない。

「一緒に死にませんか? よろしくお願いします(/o\)」
 
 特別暑かった夏の日に、面識もないのにいきなりそんなことをメールしてきた女の子がいた。名前はもう思い出せない。左に比べて右の瞳孔周辺が青いと噂のあった女子生徒で、手首には漏れなくリストカットの跡があった。忠告をしなくても傷跡は縦に割れていた。

 親水公園の浮浪者が「永遠!」と叫べば、腐りかけの豚汁をそっと手渡すゴッドが二人はいて、日照時間は規定通り、毎日が恐ろしかった。俺は週に二日、インターネットでは星が一つで有名な精神科に通っていた。そしてある日、三連ピアスをこれ見よがしになびかせる精神科医に「もうここにはこないで欲しい」と言われた。

「どうしてですか」
「どうせ宇田川くんは治らないし」
「治らないって、なにが」
「頭が」

 なるほど頭が。別にこれと言って思うことはない。そういう振りをして、だけど内心死ぬかと思った。頭が治らないって一生このままっていうこと? おいおいなんとかしろよ。思うままに罵倒していいから最強の処方箋をくれよ。それから毎日、首のない母親が金魚すくいをしている夢を見た。夕暮れにはサイレンが鳴って、大切に思っている順番に人が死んだ。もちろん夢の話だ。

「一緒に死にませんか? よろしくお願いします(/o\)」
「おっけー。じゃあ一緒に飛び降りよう」

 きっと何も考えていなかった。だからそんな返信ができたのだ。返事を待つこともなく、それきり、その女の子とはまったく関係のない人生の悲しみを抱えて、弾けるように家を出た。そうして栃木県は宇都宮の餃子センターまでやってくると、携帯電話をトイレのゴミ箱に捨てた。そこにあなたはいなかった。東京都在住の女子高生が飛び降り自殺をはかったというニュースは一向に流れてこない。餃子定食はこれ以上ないくらい格別に、スーパーに、ミラクルおいしかった。天気予報はしつこく「曇りのち晴れ」を叫んでいた。みんな死んでしまえば良かった。

  ***

>たとえば祈りや美などの,いわば陶酔的脱臼にもみられるのは,祈りのカイロース(永遠)を説くティリッヒ(PaulTillich),ファウストに「時よ,止まれ」と叫ばせたゲーテをまつまでもない。

あなたたちはどこにもいなかった。

>また, 「ベッドやおふとん」と話す女性も,その過去において「人間のいないところでも住めると思っていた」し,現在にあってその緊張で混迷し,その未来には「なにかこわいものがやって来そうな感じがする。」

誰もいない。
助けて欲しいと思う気持ちすらなかった。

今までたくさんの夢を書き留めてきたけれど、本当のところを話すなら、ただ幽霊になりたかったんだ。あなたについてなんか書きたくなかった。コンビニでヨーグルトを買いたくなかった。社交辞令もしたくなかった。幽霊になりたかった。本当にそれだけだった。産まれたときからいまこのときまでずっとだ。でなければせめて幽霊と友達になりたかった。肩を組み合わせて「おまえの人生はゴミだな。もう取り返しがつかねえよ」と笑い合っていたかった。それが叶えば他には何もいらなかったのに。

「助けて欲しい」
 
 インターネットでは誰もが口を揃えてそう言った。それが本心であろうがなかろうが全員助けてあげるべきだったし、でなければインターネットの屋上から飛び降りるべきだったと思う。完全な球体をかち割ってみればそこには何もない。そんなこと分かりきっているのに!

 思い出されるのは「とっても気持ちが楽になるヨ」と言われて、広尾の交差点で幅を利かせる謎のイラン人からルーランをワンシート3000円で買ったことであり、誰もいない教室で、一人、立ち尽くしていた夏のことだ。あるいはお互い目を合わせずに挨拶を交わした九月十八日の大阪、堺市産業振興センターブラームスの一番で寝てしまった武蔵野文化会館。錦糸町のおでん!そしてあなたがまだ飛び降りていなかった、あの日の。

  ***

 思えばいつも夢日記を書いていた。センチメンタルに言えば、一つ記事を書くたびにそのたびに傷ついて、全人類が救われなければいいのになぁと思った。夢の中では虹色のホーキンス博士が百回くらい記者会見を開いていたし、そのうち四、五回は本当に隕石が落ちてきた。左手の指は絶対に六本あって、得体の知れないインターネットが毎日メールをくれた。

 それはつまり「一緒に死にませんか? よろしくお願いします(/o\)」割れるように頭が痛かった。高校を卒業してそこそこ良い大学に入った。はじめて独り暮らしをした。目的不明のサークルに入ってすぐに辞めた。人を殺した。大丈夫、それは多分夢の話だ。土曜日の夜には必ず麻婆豆腐を作った。真面目にバイトすることが嫌だったから治験で生活費を稼いだ。毎日メールが来て、毎日それを削除した。大学を辞めた。

「おっけー。じゃあ一緒に飛び降りよう」

 自分でも書いた覚えのない日記には『あと十分で解脱する』と記されている。『人生がつらいのはホルモンバランスが乱れているからだ!』とも記されていて。どうしてもそんな人生に耐えきれず、かと言ってマンションの屋上から飛び降りるほどの度胸もなく――。

 2014年以前、インターネットにはたまに幽霊が現れた。誰かが「こっちに来るな」と叫ぶとそっちへ行った。「そっち」になにがあるのか分からないまま、`id` int (YOU) NOT NULL , 学校の屋上から女の子が飛び降り、誰かの心に馬鹿みたいに綺麗な花が咲いた。次の休み時間には、男の子が飛び降り、その翌日には、あなたが飛び降りた。あなたというのが誰のことなのか、もはやうまく思い出せないのだけれど、確かにあなたは飛び降りて、間違いなく死んだ。

 少しずつ記憶が薄れてゆく。インターネットの名前が十を超えたあたりから、いちいちハンドルを覚えておくことを辞めたように思う。輝かしいメンタルヘルスでたまにはツイッターをやる。ハート型の何かに数字が書き込まれる。アカウントを削除し、別のアカウントを開設する。2014年以降の話だ。2014年以前、あなたたちは学校の屋上から飛び降りてインターネットになった。

 膨大な情報アーカイブに隠れるようにして、ひときわ鮮やかな花束の画像が紛れ込んでいる。花束には「おっけー。じゃあ一緒に飛び降りよう」というタグが仕込まれていて、どうやってもあなたたちの名前が思い出せない。ただひたすらに視界がぐるぐると回転している。得体の知れない不安が吹き上がり、この文章はここで打ち切られる。ここに救いはない。もしもこの文章を読んで誰かがうつむいたとしても、それはその人間の責任だ。

  ***

 俺は一切責任を負わない。
 あなたの名前が思い出せないことと、
 あなたたちが飛び降りたこと以外は、全て。


宇田川@ijafad


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◎参考文献

分裂病症例の現存在分析からみた ひとのつまづきの構造
宮崎 俊明

自殺に関する研究の現状
石井 敏弘

統合失調症の家族研究の変遷
田野 中恭子

学研の図鑑12 星・星座

大日本天狗党絵詞
黒田 硫黄

幽霊 近代都市が生み出した化物
高岡 弘幸

《10月企画バトン》ハッピーエンド

彼女いない歴=年齢がそうでなくなったのは高校二年の冬だった。

 

女子どころか男子と話すのすらあまり得意でなかった僕に彼女が出来るなんて少しも思っていなかった。それまでの人生で一番驚いて、その驚きは間もなくして幸福感に変わっていった。

 

付き合い始め。学校が終わると暗くなった雪の降る田舎のあぜ道を、手を繋いで彼女を家まで送った。僕の家は全然反対方向だけれども、そんな事は全く気にもしなかった。家まで送りとどけると彼女は別れ際に『今日もありがとう』って頭をぽんぽんしてくれる。彼女は照れて何も言えなくなる僕を面白がって嬉しそうな顔をする。こういうのを幸せっていうのかなってあの頃の僕は本気で思っていた。

 

— そういうふうにスタートした僕と彼女の関係は2年目を迎えることなく破局を迎えることになる。

 

当時の僕としては、なにがなんだかよく分からないまますれ違う事が多くなり、彼女が怒る回数も増えていき。そうこうしているうちに僕が地元を離れてしまったことで遠距離になって、お互いの気持ちが冷めてしまい。別れるべくして別れることになった、という感じだった。気づいた時には連絡すら返してもらえない程嫌われてしまっていた。

 

数年たった今改めて思い返してみると、別れる事になってしまった一番の原因は彼女と付き合う事が出来たことを<<ハッピーエンド>>だと、僕は無意識のうちにそう思っていたからなのかもしれない。

 

彼女と恋人関係になれたということは先に書いたようにとても幸せな事だった。ただその付き合う事が決まった瞬間とその付き合い始めに感じていた幸福感があまりにも大きかったせいか、その幸福感と実際に付き合い始めてから出来る角質やすれ違いに大きな隔たりを感じてしまうことが少なくなかった。

 

半年くらいしてくると喧嘩をする事が増えていく。その度にいつも、僕は彼女と一緒にいられるだけで幸せなのに、なんで彼女はこんな些細な事を気にして怒るのだろう。彼女は僕と一緒にいてもちっとも幸せじゃないのかもしれない 。そう思うようになっていった。

 

彼女が些細な事で怒ったりするのは、僕達が付き合うことになったことをゴールとか終わりじゃなくて始まりと考えていたからだ。それは僕とは真逆の態度だった。丁度良い塩梅で2人が心地良くいられるこれからの関係を育んでいくために。そのために必要な話し合いを持つことを彼女は望んでいたのだ。僕はそれを今自分が幸せだからという一方的な理由で半ば拒んでしまっていた。

 

好きな人と付き合うという事はとても幸せな事だけれども、それはゴールじゃなくて、むしろハッピーエンドを築きあげていくためのスタートで。そんな当然の事を当時の僕は全然理解していなかった。恋愛ゲームでの恋愛しか経験してこなかった僕は、付き合うまでのことは知っていても、付き合ってからのことはよく分かっていなくて。結果、僕の始めての恋愛は残念なかたちで終わってしまう。

 

もし昔に戻ってあの頃の僕にひとつアドバイスを贈れるのだとしたら。付き合い始めで馬鹿みたいに浮かれている僕に言ってあげたい。

 

『幸せに浸りすぎるのも程々に。何が本当のハッピーエンドか冷静に考えて。その子と別れることになると、少なくとも25歳まではまた一人ぼっちの寂しい生活を送ることになるからね』って。

 

どうせ耳を貸す事はないのだろうけれども。

 

 

nayuki(@nayukinz)


ばたばたと叩きつけるように雨が降っている。目が痛くなるほどに眩しいネオンに囲まれた駅前、ハザードランプが縦並ぶロータリー。忙しなく入れ替わり続ける車たちに、濡れる肩もいとわず駆け寄っていく人々の表情は、今の天気に似合わず華やいでいた。

わたしは駅構内の薄ぼんやりとした灯りを頼りに、手元の文庫本を追っていた。辺りを行き交う人からの奇異な視線を度々感じたけれど、それでも居心地は悪くなかった。だって、わたしは待っているのだから。

腕時計に目をやると、ちょうど短針と長針がぴったりと頂点で落ち合っているところだった。背筋をぴんと伸ばして重なり合ったそのふたりの上を、秒針が素知らぬ顔でするりと通り過ぎた時、それに続くようにふたりも歩を進める。それを繰り返していくうちに、出会ったはずのふたりの隙間は徐々に、だけど確かに広がっていった。

ふと、ぱたん、と何かが倒れたような軽い音が聞こえた。文庫本をコートのポケットに閉まい、もつれていた意識を周囲に戻した。

目の前にはアルコールのつんとした匂いを撒き散らしながら、ぎゃあぎゃあと小突き合っているよれたスーツ姿の群れ。足元には壁に立てかけていたはずの傘が倒れていた。白地に薄いピンクの花模様、その野暮ったさがどことなく気に入って、今年の春に買った。

横たわった傘を見下ろす様に、わたしのおへそぐらいまである真っ黒い傘がもう一本、憮然とした態度で壁にもたれかかっていた。ここまで連れてきてやったんだぞ、と呟きながら、傘を拾い上げた。

わたしの部屋からこの駅までの道程、ふたり分の傘を両手に持って歩くわたしは不格好で、少しの恥ずかしさもあったけれど、それでも気分は悪くなかった。だって、わたしは雨に濡れなかったから。

かつて、あなたと同じ傘の下、その道を歩いたことがあった。寄り添い合うように並べた、背丈の違うふたつの傘を見て、何故か寂しく思えたのは、この既視感だったのかもしれない。

時計盤のふたりはもう、ついさっきの出会いは嘘だったかのように、お互いがちぐはぐな方角を向いていた。目線も歩幅も違うふたりは、いつもどちらかが雨に濡れてしまっていて。

中越しに聞こえてくる雨音に紛れて、改札奥のプラットホームに続く階段からはたくさんの足音が聞こえてきた。それはすぐに人の波に変わって、まるで洪水のようにあっという間に、わたしのすぐ近くまで流れ込んできた。慣れた手つきで足早に改札を抜けた人々は、夜に溶け込むようにして、ほろほろと姿を消していった。最終電車が過ぎ去って役目を終えた駅は、大人の匂いをほのかに残したまま、朝の訪れを独りでに待っていた。

わたしの背丈に不釣り合いなその黒い傘は、部屋のどこに仕舞い込んでも、この街を離れても、いくら時間が流れても、まるで忘れられなかった。

あなたとわたしの最寄り駅だった、何度も降り立ったこの場所に、もう二度と重なることがないように、寒い冬が襲いかかってくる前に、そっと捨て去っていこうと決めた。

向かうべき場所も違ったふたりには、傘が二本、必要だったんだ。

《10月企画バトン》20代最後の日

何も代わり映えしないルーティンの中で、数字がひとつ増え、10の位が変わる。たったそれだけのことをいかに楽しめるか。そういうチャレンジをしてみたんですけどね。

本当に何も、何も変わりなく、穏やかに日は過ぎていき、ただ満ち足りて暮らすことしかできませんでした。

みなさんどうもこんばんは。柔軟剤は使ってませんでお馴染み、ふわっふわの毛布です。3度の飯より定時帰宅が好きな29歳、本日は2時間残業からのコンビニ飯でフィニッシュ。10月12日で30歳になります。20歳のときの座右の銘は「インパラは倒れない」でした。よろしくどうぞ。

 

 

 

 

さぁここで!突然ですが!
20代のとき嫌いだったものランキングのコーナー!
どんどんどん!パフッ!パフ〜〜〜!!!

 

はじめるよ!まずは第5位!

 

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第5位【ジャスミンティー】

  

いや〜これは地味ですね〜。ジャスミンティーというなんともいじり甲斐のないものが5位にくるやつですよ。

「オッ、置きにきたねふわ毛さん、そうやってすぐ助走とるじゃ〜ん?」って感じで嫌いじゃないんですけどね、いかんせん地味ですね〜。
なんなら人の好意を蹴り飛ばしてコーラ買ってこいとかワガママなことぬかす先輩の方が嫌いかもしれませんね〜。むしろそこまでジャスミンティー嫌いじゃない感じまでありますね〜。

強いて言うなら、匂いが先行してきて、飲んでみると匂いと味にギャップを感じるあたりが好きじゃないですけど、そんなのは瑣末なことですね〜。30歳になったらジャスミンティーのこと好きになりたいですね〜。

 

 

 

 

さぁ!続いて第4位!

 

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第4位【職場の人と話すこと】

 

あっ、この辺から割と嫌いですね。僕の人生には必要ないやつです。
僕は人間性があまり真っ直ぐではないタイプなので、うっかり気を許すと余計なことを口走ってしまいますからね。余計なことが積もり積もっていくと、最終的にはエネミーが現れてしまいます。
メンズがパブリックにゴーするとセブンエネミーズがホニャホニャみたいなこと、古くは日本書紀あたりから記述があるとかないとか言いますが、蘇我さんちの入鹿くんも中大兄プリンスによってアサシネーションですし、気を付けないといけませんよね。セルフケア!
そんなわけで職場の人と話したくありません。塩も砂糖も入ってない卵焼き食う方がマシです。

 

 

 


どんどん行くぞ!第3位〜〜!

 

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第3位【歯医者】

 

時は21世紀。コンビニにもやしが売ってる時代ですよ。
そんな時代なのに、虫歯になったら歯医者に行って口の中にドリルを突っ込まれ、ゴリゴリゴリゴリ、血と唾液をシュゴオオオオオオ。これって一体どういうことなんですか。
僕たち私たちが夢に描いた21世紀はコレだったんでしょうか。もっとハイパーテクノロジーがスパークしてて、メカニカルなシステムで菌をドーン!みたいなことでしょ。

YESリニアモーターカー、NOデンタルクリニックですよ。
せめて、せめてもう二度とえづかなくて済む歯ブラシを開発してほしいところですね。おっさんの喉をなめちゃいけませんよ。いとも簡単にえづくんだから。

 

 

 

 

そして惜しくも優勝を逃した注目の第2位!!

 

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第2位【味噌汁】

 

オイ、そこのふわ毛ビギナー。アンタ今「うそでしょ?そんな人いるの?日本人?」って思っただろ。それならもう日本人じゃなくていいよ。ノルウェーに移住させてくれ。ノルウェーで木こりになるよアタイは。
味噌汁嫌いの件はもう散々既出なので簡潔に済ませますが、許可もなく勝手に沈殿するから嫌いなんですよね。
ふざけやがって。生意気なんだよ。もともとは豆のくせに。

 

 

 

 

さぁ!20代のときに嫌いだったものランキング、栄えある第1位に輝いたのは〜〜?!

 

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第1位【同窓会】

 

同窓会が優勝〜〜!あーもう嫌いだわ〜〜!
もうね、一瞬歯医者の方が嫌いかなと思った時期もあったんですけど、やっぱり同窓会が嫌いですね。同窓会のここが嫌だランキングが個別に存在するくらいダメですね。オイ学生時代の同級生の結婚式、お前も同罪だからな。

 

同窓会の何がダメって、よく知らねぇ奴が知った顔で話しかけてくる上に、ノッてやらないと空気が悪くなるところなんですよね。なんだあの薄氷みたいなやつ。割るんじゃねぇぞって言いながらこっちの善意に全て委ねてきやがる。そもそも今話しかけてきてるお前のこと学生時代嫌いだったからね。

あーあーほらそこ!すぐにマウントを取るんじゃありません!年収の話は禁止!今さら出身大学の話もするんじゃないよ!それは大学の同窓会でやれ!

オイオイマジかよ!こっちがまだ結婚もしないうちに離婚するんじゃないよ!自分の元カノがバツイチで2児の子持ち、離婚原因はEXILE系の色黒旦那がよそでちんこをファンファンウィーヒッザステーッステーッしちゃったからだって聞かされて、俺はどんな顔すればいいんだよ!どう考えたって同じ風の中!ウィーノー!ウィーラーヴ!オー!とは言いがたいよ!もうやめさせてもらうわ!

 

 

 


はい。

やりきりました。まわってきたお題は「嫌いなもの」だったんですが、これで禊ができたと思います。20代の毒が抜け切りましたね。


明日の話をしようと思います。

 

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あしたは明るい日です。
自分へのご褒美に、ドラッグストアでキッチンペーパーを買って帰ろうと思います。
エレベーターを使わずに階段を昇って、健康に気を遣う意識高めなアタシを演出しようと思いますよ。大人の階段を昇るタイミングだけにね。ええ。

 

 

《10月企画バトン》冬の味覚

10月でこのブログが1才のお誕生日を迎えたそうで。おめでとうございます。
秋が好きなので、秋生まれなのが羨ましいです。
 
~・~・~・~
 
生まれた季節は春だが、秋に惹かれてしまう。
日が短くなっていく感覚、肌寒い気温、秋色の服が好きだ。ご飯もおいしくて最高。
賑やかだった夏と、肌を寄せ合う冬に挟まれた曖昧な時間はどうしてこんなに切なく、あっという間なのか。そこが好きなのだけれど。
 
秋が終われば、あっという間に冬がやってくる。
 
私は雪国で爆誕した。
小学校では体育の授業にスキーをし、休日の朝は父親と庭の雪かきをする。雪風を極力避けるため電車のドアはボタンを押さないと開閉しない。映画館もCDショップも無い。
田舎の生活は私にとってハードモードだった。まさしく冬の時代だ。
 
中学2年生の時だったと思う。その日は午前中で授業が終わりだった。
徒歩15分位の帰り道を1人で歩いて帰った。ダイナソーJr.を聞いていた。
ナンバーガールという既に解散していたバンドをインターネットで見つけて好きになり、彼らが影響を受けたバンドを熱心に聞いていた。
正直、それらの良さは当時全然分からなかった。
 
外はとても陽が照っていたが風が強く、風がぴゅうっと1つ走り抜けたあと、頭の上に冷たさを感じた。
イヤホンを外して頭上を触る。手を見ると水滴が付いていた。その年初めての雪だった。
雪なんて毎年見飽きていたが、なぜかその時は立ち止まって空を見上げた。眩しくて目を細めながら、顔にちらちらと降りてくる冷たさを浴びた。
 
口をわずかに開けてみた。
雪の味は知っていた。(吹雪だと嫌でも口に入ってしまうことがある。)
雪は大気中のゴミで出来てるから汚いって前に言われたけど、初雪だったら違うかもしれない、そう思った。
舌に乗せてみると、冷たいけどすぐに溶けてしまい、なにも味はしなかった。
やっぱりおいしくもまずくもなかった。
 
初雪だからといって、特別なことなんてひとつも無かった。
 
たったそれだけだったが、毎年初雪が降ると、この出来事を思い出す。
 
東京で過ごす冬も今年で7年目になる。
今年もこの街に初雪が降ったら、おぼつかない足取りで通勤する人々をニュースで見て苦笑し、すぐ遅延する電車にため息をつき、同時にあのひんやりした初雪の味を思い出すのだろう。
 
なんにもない味が、いつまでもいつまでも私の中で溶けずに残り続けている。
 
~・~・~・~
 
最後までご拝読いただきありがとうございました。お題は「初雪」でした。
この企画に参加でき嬉しく思います。
肌寒くなったかと思いきや夏のような気温に引き戻され、もう身体がへとへとです。。。
皆さまもくれぐれもご自愛下さい。良い秋冬にしましょうね。
 
 
上澄み(@__oldfriends)
 

 

《10月企画バトン》夏がくるたび

茜色がすぼみ、静かに広がる紺色が深くなる様を、時おり見上げながら歩く。
全身にまとわりつく熱く湿った空気とは、コンクリートの建物の中へ足を踏み入れたとき、別れた。

ひんやりとした空気のなか、階段を昇っていく。
盛んと働く換気扇の音が聞こえ、懐かしいにおいが漂う。

揚げ物だろうか。

空腹感をはっきり意識したとき、私たちは自然と小走りになった。

「ただいまー!」
脱いだ靴をそのままに、居間へ走る。
「やっぱりね!」
両手の荷物をその場に放り落とし、大皿の唐揚げをひとつつまむ。母の唐揚げは、私の大好物だ。
後から来た妹が、あっ、と声をあげた。
「これ!私のすきなやつじゃん!」
唐揚げの隣にある大皿を、指さして言う。
大場で巻いた茄子が、皿いっぱいにのっていた。
ところどころはみ出た味噌が、焦げていた。
「ばあちゃん生きてたときよく作ってくれたよね!味噌焦がしちゃったけど。焼き加減が難しいっけなあ」
「いやあ、久しぶりだあ、まさかこれがあるとは!やるね、母さん」

してやったり、という顔の母と、目を丸くする妹。二人の会話を、唐揚げ片手にぼうっと聞いていた。
私には、何の話かさっぱりわからなかった。

****

翌日朝早く、バス停へ向かう。
盆の帰省客にまじって乗り込んだバスは、ひたすら山道を走る。

ほとんど陽の当たらない山あいの集落で、降りた。あのおかずを作った祖母が、かつて暮らしていた家へ向かう。
納骨を行う予定だった。
今にも雨が降りだしそうな、暗くて重たい雲が、空を覆っていた。

家の前まで来ると、庭が見えた。
一面、緑色の雑草だった。
うんと高く咲くひまわりを、額に手をかざし、まぶしそうに眺める祖母がいたあの庭と、同じ場所とは思えなかった。

祖父と叔父だけが残った家へ入ると、知らないにおいがした。祖母が気に入っていた鳥の置物はほこりだらけで、よく見るとそばかすのようなカビがはえていた。

真新しい仏壇のある畳部屋では昔、お手玉を教わった。小豆の入ったあのお手玉は、祖母が作ってくれた。その行方はもう、わからない。

ただ、寂しい気持ちになるだけだった。

****

納骨の時間が近づいてきた。
家を出ようとしたとき、雨が降ってきた。
霧雨だったけれど、お骨が濡れないよう風呂敷で包み、両手で抱えて車に乗った。

墓が見えてきたところで、雨は本降りになった。
季節は夏の盛り。
でもこの日の雨はとても冷たく、身体の芯まで冷えた。

和尚さんの読経は、傘を打つ雨の音で、聞こえなかった。

皆の黒い傘は、咲いた花のようだった。
祖母がどこかで目を細め、この黒い花を、眺めているような気がした。

読経が終わり、お骨を納めようと墓石をずらすと、雨がさらに強くなった。
ざああという大きな音に皆が顔を上げたとき、祖父が大声をあげた。

「あーあ!ばあだべ!ここでひとりこになりたくねえって、忘れるなよって、泣いでんだべ!ほんに、すぐ泣ぐもの……」

祖母の涙にうたれながら、私は、昨日のあのおかずを思った。
祖母の家には色々な思い出があった。でも、あのおかずのことは、何も思い出せなかった。
姉ちゃんも一緒に食べたよ、と妹が言うのだから、私も食べたことがあったのだろうが、忘れてしまったらしい。

これからきっと、もっとたくさんのことを忘れていく。忘れるほど、ばあちゃんには会えなくなるだろうことを思いながら、再び、墓石が閉じてゆくのを見ていた。

****

納骨から数日が経ったある日、夕飯の買い出しにスーパーへ出掛けた。
野菜コーナーで茄子を見かけ、思わず手に取る。
小走りで大葉も探し、かごにいれた。
予定を変更し、あのおかずを作ることにした。

あの日、母に聞いたとおりに作った。
やっぱり味噌が焦げた。

「ばあちゃん、来年は焦げないように、作るからね」

両手を合わせて、目をつむる。
夏のこの時期だけでも毎年、祖母に会いたいと願う。

眼を開き、箸を手に取った。

****終わり*****


長くなってしまいましたが、
ここまで読んでくださった方、おりましたら、深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
お題は【すきなひと】でした。

記憶の中でしか会えない【すきなひと】が
私を生かしてくれているのだと思う日々です。

《10月企画バトン》お酒とわたしとその後

 

 

 

 


自分はどうもお酒だけで酔おうとすると、かなりの量を費やさないといけないということが判明したのが、1年前くらいのことで。

 


そこから飲む時と吸う時が重ならないように、と思って過ごしてきたので、基本的に人前や1人で外で飲んでいてもどちらかに傾倒するか、どっちもしていてもペースを理性でコントロールしているか、だった。

 

 

 


ただ今年の誕生日は、久しぶりに楽しかったので、考えることをやめてどっちも好きなだけやってみた。
隣に初対面のひとがいて、はじめましての挨拶もそこそこな状態だったくせに。

 

 


わたしは嫌われたくないしみっともないところをどんなひとにも見られたくない気持ちをいつも強く持っているんだけど、その時はそれを差し引いてもだいぶ酔いが回って気持ちよかった。
今まで付き合ったひとやそれなりに深い仲になった人の前ですらこんなに酔ったところを見られるのはなかったなあ、と思いながら灰皿に溜まった本数を数える視界がもうゆらめいていて。
いつもならそんなによく聴こえない左耳が、酔ってるとなぜかよく聴こえて、それがいちばん機嫌がよかった要因かもしれない。

 

 


ばいばい、と手を振って改札で別れた時までは、そんなふうにゆらゆらして多幸感に浸れていたんだけど。


そのあとは、もうただ落ちていくだけだった。

 

 


帰りの電車で座った瞬間にまずやってきたのは、いたみ。じわじわといたいのがきて、それはまだ多幸感という言葉で誤魔化せていた。
そこから頭が重くなって、でも目を閉じてもぐるぐるしていて眠れるわけでもない。多幸感の雲行きが怪しくなってきた。


次にやってきたのは、どうしようもなく空虚な気持ちで、なにもかもに期待が持てなくて、どこかになにか大事なものを忘れてきた感覚がするのに今更戻る気にはなれない時のあの気持ちだった。
こんなのは初めてのことだったから、まずその気持ちが込み上げてきたことに戸惑って、その気持ちに心当たりがついた時にまた戸惑って、戸惑いを誤魔化しきれなくなったそのあとはもうずっとかなしみに溺れてしまっていた。

 

お酒を飲むと、どうしても昔のやらかしたことやかなしかったこと、報われないきもちや怒りみたいなものが、ものすごいスピードでよみがえってしまうらしい。

 

 

実はその日の演奏会で、後輩が周囲ときちんと折り合いをつけられないまま部活を引退するということを、本人以外の口から聞いたこと。

 

ステリハで聴いた前プロの曲の出来が、あまりにも不安すぎて堪らなかったこと。

 

実は思っているより、大事な後輩のピンチに気づいてあげられていなかったこと。

 

内定が決まったはいいものの、その選択でほんとうによかったのか今でも不安で仕方ないこと。

 

バイト先の店長と日本語を話しているはずなのに全然意思疎通が取れなくて、女の子はおろかお客さんですら大事にしないその態度に対して静かに怒りつづけていること。

 

長生きしたくないのに、年金を払いつづけていること。

 

生かされたくないのに、生きていてほしいと思う人をなんとかして生かそうとしている時点でもう生きる理由にを得てしまっている矛盾に気づいてしまっていること。

 

あの時どうしてもっと助けてくれなかったの、と泣いている自分のことをうまく助けられないもどかしさ。どれだけドライブデートがあの時楽しかったといえど、どんな些細な行為も癇に障ったらどうしようと思って5時間ずっと気を張っていて実はとても疲れていたということ。誰かに身を預けることがどうしても怖くてできなくて、誠意を欠いた態度をとられることの方が逆にセオリー通り・予想通りで安心してしまうこと。「お前の学費がいちばん家計を圧迫しているんだ」と何の気なしにいえる母親の態度や、自分のかつての生き方や理想を押しつけてくる父親、そういう"族"の呪縛から解き放たれたいのに、「家にお金がない」というただそれだけの言葉に雁字搦めになって最後までやりたいことをやりきることが怖くなる。預金がなくなったら、楽器をいつかやれなくなる未来を想像したら、棺桶に入れられた恩師の普段とは違うおそろしく穏やかな寝顔、彼女の通夜の帰りに仙台駅まで歩く中彼女の死が突然のことすぎてなにも言葉が思い浮かばなくて、「どうして、わたしを連れていかなかったんですか、」と小さくぼやいたくらいで、今日誕生日であんなに楽しい思いをしたのにどうしてこんなに悲しい思い出ばかりつよく呼び起こされるのか、

 

 

 

 


『×××、×××駅です、お出口は左側です、』

 

 

 

 


アナウンスが現実に引き戻してくれて、慌てて電車を降りた。
今日お手伝いとして参加したお礼に渡されたマドレーヌ、誕生日プレゼントに頂いたハンドスピナー、ジャケットの中には携帯と家の鍵とパスケース、ぜんぶがあった。

 


酔いは完全に冷めていた。階段を上がろうとした瞬間に左耳がここぞとばかりに耳鳴りして、現実がまたやってきたんだと思ったらどうしてもやりきれなくて涙ぐんでしまった。


階段を上りながら、今日一緒に飲んでくれたひとにお礼のメールを打つ時ですら、わたしは幸福とかなしみの境目が曖昧だった。

 

 


0:32、日付が変わって、もうわたしは21には戻れなくなってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宕子