うまくいえないひとたち。

analfriskerのつどい

書きたいという気持ちが強くなったあのときの僕は、サンリオピューロランドに行くべきだったのかもしれない

予想外に痛手を負うことは、誰にでもある。

予想外に痛手を負わせてしまうことも同じく。

 

 

 

 

 

 

 

 

イジりとイジメの境界線は、いまや社会問題となっている。セクハラ・パワハラなんかと同根だろう。 

 

 

 

 

「加害者」の多くは第三者に訴えられたときに、初めて自覚が出t

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重いよ!!

 

なんだよこれ!!

 

普段明るく振舞ってる人が墓まで持っていこうと思ってた秘密を不意に知っちゃったときくらい重いよ!!

 

こちとらお題募ってまで短期集中連載で書こうってんだぞ!!

 

 

 

一発目はもっとファンシーに「サンリオピューロランドに行ってみた」とかそういうレポとかの方がふさわしいだろうが!!

なに書かせてんだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ととのいました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傷が癒えた人とかけまして

 

 

 

 

 

 

 

チヤホヤされることに慣れて傲慢になった結果、自分が中心でなければ気が済まなくなってしまい、次第に周囲から疎まれるようになっていった人

 

と解きます

 

そのこころは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どちらもジコが過ぎたでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お後がよろしいようで

 

 

 

ふわっふわの毛布

ひどい風邪の時に嫌いなテレビを観て元気を貰った話

昼過ぎまで寝た。いや、正しくない。起きたら昼過ぎだった。

4時と5時半くらいに咳が止まらなくなって2度目が覚めたのは覚えている。

そこから咳止めの頓服を飲んだ。大きくて白い錠剤を4つ。医者は副作用で眠くなるから寝られない時だけにしなさいと言っていた。咳が止まってよく寝られるなら一石二鳥だ。

 

しかし寝すぎた。背中も痛いし耳の奥の方が重い。寝すぎたせいか風邪のせいかわからない。今日はひどく天気がいい。

とりあえず歯磨きをすると寝ていた時に止められていた分を回収するかのようなけたたましい咳が出る。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになる。食道も胃も腸も全部ひっくり返って出てきそうだ。最近は毎朝こうだ。私は大げさな人間なので死ぬ、という言葉が自然と浮かぶ。それと同時に彼氏にだけはこの顔見せられないなあ、と思う余裕がある。

 

誰もいないリビングのテレビがつきっぱなしになっている。吉本新喜劇だ。テレビの音はきんきんと耳と頭に響くので好きじゃない。

あたためるのが面倒なので熱いコーヒーに冷蔵庫から出した牛乳を1:1で注ぎ足したぬるいミルクコーヒーを飲む。トーストも焼かずにバターだけを塗る。消しゴムのように硬い。柔らかいパンがバターとバターナイフで押しつぶされる。気にしない。無理矢理パンの耳でナイフに残ったバターをこそげ取る。奇妙な形に変形したパンを半分に折ってミルクコーヒーでちびちびと流し込む。飲み込むたび、腫れた喉が痛む。

 

テレビでは間寛平池乃めだかがセットの長椅子を使ってごちゃごちゃと何かをやっている。池乃めだかちっちぇーなあ。トムとジェリーのようにちょっかいを掛け合うじじいふたり。観客の笑い声。それに応えるように更にヒートアップするじじいふたり。

 

私が生まれる前から、小学校を卒業し、中学、高校、大学まで卒業し社会人にさえなっているのに、新喜劇はその間ずっと続いているということにただ感心する。環境がどれだけ変わっても変わることなく続いているものがあることは、それだけで安心する。

 

やたらよく伸びる白いズボンにがらくたを詰められるだけ詰め込んだ寛平ちゃんが歩くたびにガチャガチャとうるさい音がする。池やんがやかましいなあ、とつっこむ。寛平ちゃんが前チャックの間からタコのオモチャを覗かせて「こんなん出てきた!」という顔をする。すかさず「いやアンタが入れたんや!」と池やんがつっこむ。なんと、しょうもない。しかし、なんと平和な笑いだろう。

 

なぜかここで、私は涙が出てきてしまった。

誰も傷つけず、何も笑い者にしない、笑い。大御所のじじいふたりが、小学生でもしないようないたずらっぽい笑いで会場を包む。これこそ理想ではないか。

風刺やいじり、時には差別で笑いを取る手法はアングラな人気を誇るし、それを悪く言うつもりはない。けれど、こんな方法で、人を笑わせる事ができるのだ。きっと誰にでもできる事じゃない。寛平ちゃんと池やんだから成立するのだ。

 

今日はひどく天気がいい。

 


仮原稿

 

 

お父さん・お母さんへ

 

 

お久しぶりです。しばらく帰れずにすみません。お元気でしょうか。

お父さんが風邪をひいてしばらく寝込んでいたこと、お母さんからこの間電話で聞きました。わたしも最近風邪をひいたのでお揃いだなと思いました。こっちは春が来る前兆のようにほのかに暖かい日が続いています。が、その暖かさに甘えて薄着をすると、途端に寒くて震えながら会社に向かう時もあります。油断禁物で体調気をつけてください。

仕事はまあまあ普通です。この時期を迎える前からいつもより忙しくなるだろうと覚悟を決めていた割には、そうでもなかったことに少し驚いています。毎日朝トイレ掃除を丁寧にして、社長の他の社員に対する文句を代わりに聞き、同業者に電話をかけ、契約まであと少しのお客様の対応し、近くにワゴンカーで来ている団子屋さんの団子をおやつに買い、基本的に何が何でも定時で帰るようにしています。最近のマイブームは、おやつに団子屋さんでチョコソースのかかったものを選ぶことです。食感は団子というよりつきたての餅に近く、見た目が丸く成形されてない餅のようですが、味が16種類もあって大抵のものは食べましたがおいしいです。仕事も今のところは順調です。

最近、夕飯は必ず丼ものなのですが、ご飯の上に乗せる具材に餡をかけるのが好きです。片栗粉の使い道がほかにわからないので、永遠に餡掛けご飯を作っているのですが、餡掛けはおいしいですね。鍋に少し水を入れて沸騰させ、白菜とほうれん草と挽肉を入れて、白だしをさっと入れておわり。味はめんつゆと酒みりんにしてみたり、めんつゆを醤油に変えてみたり、いろいろとしていますがどれもおいしいです。これを書いている日も新たな餡掛けご飯レシピを考えています。

自分のことばかり書いてすみませんが、とりあえず元気に無事で暮らしているということが言いたかったです。

いつもなにもいわずにいてすみません。そちらも体に気をつけて元気でいてください。

 

 

p.s. 保険証を同封します。長い間渡しそびれていてすみません。よろしくお願いします。

 

 

 

 

きょうの日報

 

 

朝、遅刻した。最近朝起きたら膀胱の痛みで動けなくて困ったなあということが多い。ご飯も食べてるし風邪っぽくはない。花粉で鼻はやられているけれど、漢方を飲んでなんとか生きている。あんなに食べるようになったのに抵抗力がまだ弱いのかあ、と思いながら、すみません、いつまでには着けますがお掃除の時間に間に合いません、申し訳ありません、とラインを送った。こういう時にあまり我慢をしないでゆっくり動いた方が後に引かないで楽になるのだと、膀胱炎になってもう9年になる経験からわかっている。

 

 

朝、着いた。掃除できなくてすみません、昨日は忙しかったですか?仕事やってくれてありがとうございます、進捗状況聞いてもいいですか?と声をかける。今日はあのよくわからない社長は来ない。デスクで履歴書を書けたら書くぞと意気込んで用意してきた。仕事も多分今日中には一歩前に進められたらいいな。なるべく早めに帰宅してご飯を6合炊くぞ。と、思いながら進捗状況を聞く。わたしのいない間のある1日がすごく忙しかったらしくて、同僚は自分の仕事とわたしの仕事のフォローでいっぱいいっぱいだったみたいだ。先方にレターパックで契約書を郵送する余裕すらなかったみたいだった。なぜその判断をしたの?その言葉は相手に伝えるには軽率では?と口を出したら、まるでちょっと不機嫌になったかのように早口になって言い訳をまくしたてた。理由を聞いてるだけなのになあ、と思いながら、わたしの言い方が悪かったという態度が伝わるように、「今日は声が変だけど昨日遅くまで飲んでたの?」と明るめのトーンで声をかけなおした。金曜が忙しくってわたし以外のメンバー3人で深夜1時まで飲んだらしい。そっかあ、おつかれさま、ずいぶん飲んだのねえ。ハハ、と笑いながら目で微笑んでることがわかるように取り繕った。もうすごい疲れてさァ、みんなヘトヘトだったんだよ、という言葉を聞いてあげる。別に聞きたくないし合わせたくないけど、そうしたら滞りなく進む。

 

 

夕方、やりきれなくなって後輩と一緒にお菓子を買いにセブンへ行った。どう考えても相手が指定する初期費用をオーバーしているし、収めるためにはどうしてもわたしの取り分を減らさないと今の現状から簡単に打開できなそうだった。簡単に、というのはこの契約を成約するのに急いでいるからであって、時間を少しもらえるならばわたしの取り分は減らずに目的を達成できるかもしれないのだ。そんな時間と手間を先方からもらえるのか、どうだろう、明日相談してみようか、うーん。迷いながら後輩とセブンに入る。話の途中でからかわれモードになって、「いやあなた2連休しといて朝遅刻って」って言われた。その瞬間?がめちゃくちゃ浮かんだ。いやまあ確かに掃除の時間に間に合わなかったことは謝るし謝ったし、それが足りないのならそうなんだろう。だけども、お前はわたしより会社に近いところに住んでいるのにも関わらず、わたしより先に出勤したことがないのにそれをいうわけ?入って日数が経つのにまだ会社周辺の地理がわからなくて、うちは地理がわからないと話にならない職だと身にしみてわかっているくせに、昼の休憩はずっとコンビニでご飯を買って外に出ようともしないくせに?そうであっても契約を1本とってこれるだけの力はあると認めているし、その努力を肯定するから、せめて現状の自分に甘えないでほしいもんだなあ、と思いながら無言でリプトンのさくらミルクティーを手に取る。さくらがついてるやつはまあハズレはしない。ていうかお前、飛び込みの客逃しすぎだし、せめてもうちょいお喋りが上手になるためにも外を歩いてまわる習慣つけたら?今のところお前の長所、顔しかなくない?と言いたいのを堪えて、レジに並ぶ。細身な後輩はスーツが似合うけれど、青スーツは正直若いうちしか着れないし、26歳以降の青スーツは見ててウザいからやめた方がいいよ、とそっと心でつぶやいた。

 

夜、退勤しようとした。明日は今日この2人は休みでいない。やっておく仕事ある?と聞いたらぽつぽつ出てくる。丁寧にヒアリングしてメモする。急ぎかどうか頭の中で計算する。同僚があ、と言い出す。これってまだやっておく必要ないよね?と訊かれたその仕事は、わたしがすでにもうクリアしていると思っていた段階の仕事だった。ていうかやっておいてくださいってわたし休み前に言ったよな?なんでやってないの?と訊く。契約前に届けばいいやつだし、そもそも先方から準備が遅れるといってたからこちらもそのような対応でいいかと思った、とのこと。この契約のことに対して繊細さが足りねえなあと感じて、オッケーやっておくよ、といった。誠意とかどこに置いてきたんだろうな、と思いながら明日のタスクメモに書き足す。わたしの明日のタスクメモの内容の多くは、大抵が自分の案件ではない。他人の尻拭いがままある。半年前は他人の尻拭いをして給料をもらっていた。今は自分のお客様と尻拭いで手一杯で、せめて頭でも体でもいいから会社にいる人間が進歩してくれたらなって思う。

 

夜、帰り道。今週火曜の新入りの歓迎会はどうするの?と同僚からラインが入った。元々社長がいる場に同席したくなく、酒もご飯も一緒に食べたくないと宣言したために欠席の旨を伝えていた。同僚からは、新入りの青スーツは別に悪くないのだから歓迎会くらいは参加したら?と暗に伝えてきた。別に悪くないとしたってわたしのことを守ってくれるわけでもなんでもないし、ていうかそこまで興味がない。やっぱ当日具合悪くなったので参加できませんってことにするから1人分キャンセルしておいて、とラインで打った。明日の夕方にその旨を店に伝えるから心変わりしたら連絡して!ととんちんかんなラインがきた。うるさいなあ。うるさいなあ。うるさいなあ。

 

 

 

 

弊社の上司、みていますか?死ね

 

 

 

 

ひとは年齢などではなく、属性ではなく、見た目ではなく、人柄でもなく、如何様に考えて何を実行しようとしているか。

それに対して手伝えることがあるのかないのか。

切りつめていったらそれしか残らない。それ以外は残らなくていいはずなんだけども、その本質以外の余計な脂肪みたいな要素がまとわりついて、本当のことがよくわからなくなることがあって。

 

 

何が大事なんですか?

今回はどんなコンセプトなんですか?

それはあなたの掲げたクレドとは反しているようにみえるけど、どう折り合いをつけているんですか?

 

 

自分の質問は最低限でかつ最適な、一番まず最初に聞かなければならない内容のものなだけなのに、何一つとしてきちんと回答できない相手にずっとわたしは怒っている。

わたしだってきちんとやれないことは多くあるけれど、信念とか自分の曲げてはいけないルールがあって、不本意にもそれに反する時は自分で自分に対して言語化して折り合いをつける。

 

 

わたしだってできることをなんでできないんですか、とはもう訊かない。できないものは仕方ないし、できないことを責めてもしょうがない。

 

ただその本質が蔑ろにしていいんだとしたら、今のあなたには何が残るんですか?

とは訊きたい。

 

 

 

まあ信念も何もなく生きてるのであれば、全部この質問する時間も無駄になるんだけども。ねえ。

 

ってことを毎日会社にいって上司に言おうか考えている。

「生意気なんだけどさ」とその場に同席している他人によく紹介されるときに言われるんだけども、採用したのお前だからな。

 

 

生意気で何が悪い。手を抜いて仕事をやるような人間よりよっぽどいいにきまってるだろうが!ばかもん!

 

 

 

 

 

 

 

捨てられたダッチワイフが人間に復讐するゲーム「Doll of Resurrecion」

みなさんどうもこんばんは、「君の美しさはまるで精巧に作られた人形みたいだ……心奪われて僕が人形になってしまいそうだ……!」みたいなちょっとうまいこと言ってやろうとしている男を蝋人形にしてやりたいでおなじみ、アミーゴ銀三郎です。

 

みなさんは物を大切にしていますか?「地球環境を大切にしよう!」という声を上げ、リサイクルという概念も根付いてきました。それでも大量生産、大量消費という資本主義という抗えない波に呑まれ、新しいものが出たら古いものはどんどん入れ替わっていく世の中です。そんな中捨てられていったものたちはどうなるんでしょう?どう思うんでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日紹介するのはそんなことは一切考えられていないであろう、捨てられたダッチワイフが人間に復讐するゲーム「Doll of Resurrecion」です。

 

 

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舞台はこのダッチワイフが捨てられるのに相応しい、怪しい看板のある路地裏です。日本ではもうなかなかお目にかかれないタイプの看板ですね。

 

 

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キャラクターが2種類選べるという実はジェンダーフリーなゲームです。

 

 

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捨てられているので空気がなくてぺらっぺらの状態からスタートです。

 

このゲームはまず全5ステージからなる様々なトラップを潜り抜けながら進むアクションゲームとなっております。

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ダッチワイフなのに違うところに穴が空いたり←

 

 

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炎が吹き出るステージを燃やされないように進みます。

 

 

そしてときにはこのように

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ガスボンベに入っていたガスを吸い、ボンッボンッボンッのセクシーダイナマイトボディになって空中に浮かびながら進んでいきます。

 

 

 

そして5つのステージを乗り越えると第6のステージ、ひたすら人間に復讐するステージが現れます。

このステージになると空気入れが用意され、そしてステージに散りばめられた武器を装備できるようになります。

 

 

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これは口のなかにペットボトルを装備したときの画像で(このペットボトルは射出されて人に当たると倒せます)

 

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こちらが手に斧を装備したときの画像です。(この斧も投げることができます)

 

こうして空気の残量に注意しつつ、ひたすら人間を襲っていくだけというステージです。

 

 

いかかでしたでしょうか?やはりこのゲームの魅力を伝えるには画像だけでは物足りない気がしました。実際にプレイしてもらえればわかるのですが、このダッチワイフの移動が空気の入っていないダッチワイフが実際に動き出したらこうなのでは?と言わんばかりの独特の物理演算で移動するだけでも一苦労です。それをこのブログで伝えることが難しいのが残念です。なので気になった人は実際に買ってみてプレイしてください。

 

 

 

今年も残るところあとわずかとなり、年末年始、そしてクリスマスというイベントが控えています。クリスマスを目前にして自分のことを都合のいい人形のように扱い、そして捨てられていった過去を持つそこのあなた、この機会に捨てていった憎いあいつのこを浮かべながらこのゲームをプレイしてはいかがでしょう?

 

 

 

下記のURLから購入可能なのでぜひご検討ください。

↓    ↓    ↓    ↓    ↓

https://store.steampowered.com/app/927190/Doll_of_Resurrection/

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。f:id:analfrisk3456:20181206181605j:plain






アミーゴ銀三郎

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とあるツイートをタイムラインで見て、もやもやしてしまったので、ここに書く。すみません、いきなりこんなものを入れてしまって、エグいかもしれない。要注意

女1人、男2人。これはなにか? 私の恋愛履歴書だ。性行為(のようなもの)をしたのは3人ともであり、私は挿入未経験者だ。

挿入前になると親の顔が脳裏をよぎる。想像上の親の顔はひどく落胆し、憔悴している。親は……特に私の父親は私のことが大好きだ。保育園に通っていた頃、「ななしの一番好きな人はだあれ?」ときかれて、同じ保育園に通っている男の子の名前を出したら、週末に予定していたディズニーランドがなくなりかけた。それくらいの愛情だ。(伝わるだろうか?)

昔の彼女とはキスだけでも十分だったけれど、自発的に望んで至った。昔の彼氏たちはそういうものを求めているのがすぐにわかったから、なるべくそれに応えるようにした。すると徐々にエスカレートする。挿入したいと言い出す。その頃には私の思いは冷めている。

拒む。「好きじゃないの」と言われる。「そうじゃない」と応える。会うたびそれらを相手から求められる、その状況にうんざりしている。

「好きじゃないの」は呪いの言葉だ。好きなら自分の要望に応えろという風に私には聞こえる。うんざりだ。私が欲しいことばは、行動はそんなものではないのに。

挿入なんてされたくない。そんな言葉で縛る君となんか添い遂げたくない。子どもなんか生みたくない。自分の遺伝子を持った子どもなど要らない。気持ち悪い。そう言う私に君は「俺の子どもを求めてくれないのか」と言った。違う、そうじゃない。そういう話をしているんじゃない。私が欲しい言葉はそれではない。

インターネットの荒波をサーフィンしていると、出会いたくない情報に出会う。「どうせなら初物の彼女がいい」「女の価値は処女かどうか」「中古は嫌だ」そんなことばを馬鹿みたいに鵜呑みにして生きてきた結果がこれだ。完全に拗らせているもう手遅れだ。

たまに自棄になって適当な男でも捕まえて脱処女してやろうか悩むけど、結局やめる。

性欲が優先される関係なんて嫌だ。男でも女でもいい。親友と適当にそういう関係になってなし崩し的に恋人になって友愛4:性愛1くらいで生きていきたい。セックスなんて気が向いたときだけでいい。

そんな関係は今だどこにも見当たらない。

追記:これは誰か特定の人を批判するために書いたのではなく、Twitterのいいね?だったかで流れてきたものに反応して書いてしまっただけのものです。悪しからず。

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シャワーを浴びていて、ふいに飛び込んできた水が甘かった。

 

あるアーティストの歌詞を思い出して「最近は髪も爪も切らず/復讐もガソリン切れさ/何にも食べたくないし/ずっと考えている」。

 

何日も外に出ずに、部屋にうずくまっていて、食事も怠って、夜になった。空腹を感じて外に出ると、軽食屋の灯りがまぶしくて、それが恐ろしくて、なぜだか、とても恐ろしくて、いつの間にか食欲はなくなっていた。『蛇にピアス』、「夜にしか生きられない」。映画で観たあの呟きが時々頭に浮かぶ、今夜はそんな夜だった。

ひとが生きるための灯り、が怖かった。

 

何も食べずに、煙草だけ吸って帰ってきて、ここを思い出した。うまく言えない、から。自分のブログは何か月も更新していない。何もかも、うまく言えない。完全に社会不適合者のそれ。誰よりも、うまく言えない、それだけは自信を持ってもいい。と(例えば、太宰治のように)感じた。

 

効かない薬をあおってから、そんなことをここに書こうと考えながら、食器を洗った。久しぶりにシャワーを浴びて、歯も磨いた。いろいろ書こうと思ったことがあったけれど、それは大したことではなかったらしい。もう、特に書くことはありません。

 

(エクスキューズ。以前企画のときに、順番が回ってきたのに、何も思いつかずに、何も言えずにそのまますっぽかしてしまって、それを忘れて、最近気づいて、大変申し訳なく思っています。他にもそういう方、いるかもしれない。厚顔無恥、そんなひと私の他にいないでしょう、その人の分も謝ります。ごめんなさい。)

 

「効かない薬ばかり転がってるけど/ここに声も無いのに/一体何を信じれば?」

 

不意に飛び込んできた甘い水とは何のこと?一縷の蜘蛛の糸。手繰り寄せて、明日に届くか知らん。

明るい空、スーツを着て働く人たち、繁華街を歩く観光客やはしゃぐ学生たち。それらを、見ている人が私。

私はただ、見ている。

なんて声をかけたらいいのだろう。

声にならないから、あなた、と肩を叩いたら、あっさりと不審から拒絶へ変わる眼差しを眼前にして、あなたはどこにもいない。

私は灯りに、陽の、生きるための、灯りの下で生きている<ひと>にはなれない。だから小声で、ここで、あなた、と呟いてみる。あなたの眼差しが見えるように、それが見えるだけの、小さな灯りをひとつだけともして。もしも、そんなことができるのなら。

 

うまく言えないのなら、言葉の断片でもいい。単語を数珠つなぎに並べて、言の葉がそらに舞うに任せてもいい。そう思えたら、少しは、或いは。どこにその場所はあるだろう、どこにあなたはいるだろう?そう、ここにしかない。だから私はしばらく私に耽溺する。そのままその海に沈んでいて、うっすら目を開けていたら、水面から差し込んでくる陽の輝きを目にするかもしれない。そしてそうっと手を伸ばすかもしれない。

 

何かを書くということは、誰かに宛てて、ということもあるのだろうけれど、私にとっては、書くということは、私のなかに沈み込む手段である。だから今はひたすら書いていたいのだけれど、この場所の不文律の境を越えないように、ここまでにします。お目汚し、失礼しました。エクスキューズ、ミー。左様なら。

 

 

 

 

 

《10月企画》記念日との適切な距離について

□はじめまして、ここで書くのは初になります。更新が遅くなり、すみません。職場の旅行で疲れはてていたら、こんなに日が経ってしまっていました。


□日頃から他人に「参加する前に作品をストックしておきなさい」と口煩く言っているわりには、自分自身ができていなくてうんざりします。

□近頃めっきり文章を書いていなかったので、説明が要領をえないかもしれませんが、生暖かい目で見ていただけると幸いです。




□さて、私は「非日常」というものが好きだ。「非日常」を求めて休日は基本ふらふらと出歩いている。それは近くの公園へ徒歩で散歩することだったりもするし、何時間もかけて海を見に行くことだったりもする。

□知らないことを知る、道行く人に話しかけられる、行ったことのない場所へ行く、上司に怒られる、などなど挙げればキリがない。

□遭遇頻度が低ければとたんにそれらは「非日常」として私に解釈され味わわれることとなる。「ときにしょげながら、ときに喜びながら、「非日常」が好きな私はそれらを愉しむ。

□私にとってどんな「非日常」も人生においては「スパイス」程度の扱いなのだろう。それを見た人は皆、理解に苦しむような顔をする。(思考回路は単純明快なのに



□「記念日」といえば、とても分かりやすい「非日常」の形であるように思う。



□しかし、決まりきったように訪れるようになった「記念日」は最早「非日常」とはいえない為、とても退屈で窮屈だ。何より、記念日を祝うことが当たり前になったとき、それは半強制的な効力をもって私の首を絞めることとなる。

□私にとって一番怖いのは、記念日を忘れて落胆させてしまうことや、それを恐れて窮屈に(神経質に)生きることだ。もうそんなことはこりごりなので、私は「記念日」をなるべく意識せずに生きるようにしている。(これ、伝わるかな?

□意識しないというのは「記念日」を忘れるに近い。というより、かなり頑張れば思い出せるくらいの頭の片隅においておく。これが私の「記念日」との距離感だ。

□その結果、お付き合い一ヶ月を忘れたことに対して、昔の恋人にはキレられたし、誕生日を間違えたことに対してもやはり怒られた。(祝ってほしくば自分の口から言えばいいのだ。と私は思っている。

□私と交遊のある友人たちはそれを知ってか知らずか「まあ、こいつはそういうやつだしな」と放っておいてくれている。

□たまたま気がついて、たまたま気が向いたら祝う。後から気がついてもまあ祝う。それくらいのスタンスで「記念日」とは付き合わせてもらっている。ありがたいことだ。

□私はよく記念日を忘れるけれど、相手が喜ぶのは好きだ。知り合いが近い内、または少し前誕生日であることを思い出すと、大抵手持ちのもので賄う。机の中にある飴だったりなぜか手元にあったゴディバだったりだ。

□また、SNSSkypeなどで連絡を取り合っているときに気がついた場合は、Amazonに頼る。プレゼントの内容としては大体がそのとき話題に上がったものだ。

□ちなみに、今年はAmazonの欲しいものリストの話を友人にした。欲しいものリストを公開していてくれれば、気がついたときに送るからと。
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Amazonの郵送方法等については賛否あるかと思われるが、個人的に欲しいものリストほど良いサービスはないと思っているので、あとはユーザーの気遣い(発送情報画面を相手に共有しておくとか)が大切なのだろうと思う。




□というか、もうこんな時間ですね、私はもう寝ます。おやすみ

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《10月企画》疲れてるのかもしれない

途方に暮れている。

 

 

この「記念日」の企画が始まったとき、何を書こうかとぼんやり考えて、題材のメモを残したことは覚えていた。

いざ自分の番がまわってきて、改めてメモを見たのだ。

そして、途方に暮れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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賢明な読者のみなさんならば、既に僕が途方に暮れた理由もお察しだろう。

だが、あえて言わせてもらう。

 

大して似ていないのだ。

 

記念日と自然薯は、大して似ていない。

 

 

 

 

 

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以上の内容を書いてから、数日下書きに寝かせてみた。僕は未だに記念日と自然薯が似ていると思えていない。

体験してみて分かったが、自分のことが理解できないというのは恐ろしい。ある日の記憶が、そこだけすっぽりと抜け落ちてしまっているかのようだ。

連続した毎日を過ごしている僕たちが、そのことに気付くのは容易ではない。

 

「えっ?俺そんなこと言ったっけ?」

言われた側は覚えている。

「言ったじゃん。忘れちゃったの?」

「いやいや、言ってない言ってない」

「うそだ」

「絶対言ってない」

「あのときは確かにそう言ってたのに」

 

 

 

 

 

些細なことならいい。

記念日と自然薯が似ているかどうかの是非とか、その程度のどうでもいいことならば。

だけど、大切な人と交わした大事な言葉だったら?

 

 

 

私たちは日常に流されていく。とりあえず生きようと思うと、途端にルーティンが押し寄せてくる。その方が考えずに済むからいいぞとでも言わんばかりに、毎日、毎日。濁流に飲まれそうになりながら、ギリギリのところで息継ぎをして。生きていく。

あなたはどうですか。安全なところにいますか。飲み込まれて、流されていませんか。

そんな毎日のなかに見つけた、小さいけどキラッと光る出来事、大切にしたくありませんか。覚えておきたくは、ありませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アピカ 日記帳 5年日記 横書き A5

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https://www.amazon.co.jp/dp/B0033VP7L0/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_ouv5Bb4E7GG0N

 

 

負担なく続けられる
気軽に日記でも始めてみようと思っている方、毎日毎日何ページもその日の出来事を書き留めていくのは結構大変なんじゃないかと心配されていませんか?『アピカ 5年日記』は、毎日6行分の記入スペースなので、1日の出来事を簡潔に書きこむことができます。飽きやすい人でも、5年後を楽しみにしながらコツコツと続けらる日記です。シンプルで高級感のあるアンティーク調の見た目も、本棚でいい味を出してくれるでしょう。

 

 

 

 

 

思い出を振り返りやすいページ構成
1つのページに1つの日にちが書かれており、そのページに5年分のその日の日記がまとめて書けるようになっています。年号が最初から振られていませんので、使用開始日や使用期限を限られることがありません。1年分のページをめくり、遡って昔のことを確認する必要がなく、過去の同日に自分はどんなことを書いていたのかを同じページで振り返りながら記入することができます。過去の出来事や思い出を振り返り、懐かしみながら日記をつけていくことができるので、書いていくことが楽しくなりそうな気がしませんか?

 

 

 

 

 

丈夫で上質な素材で大切な思い出を残せる
5年間毎日開け閉めしていると、表紙や中の紙が痛んでしまいます。でも『アピカ 5年日記』はしっかりとした硬い表紙と、「アピカ1000年ペーパー」と銘打った上質な中性紙を使用しているので、変色や劣化もしにくく、長くお使いいただけます。紙の手触りもよいので、筆あたりがなめらかでサラサラと記入することができます。大切な思い出をきれいな形で未来に残したい方には嬉しい日記です。

 

 

 

 

 

お客様の声

紙質が良いです。大きさも気に入りました。無駄がなくシンプルなところ、青いカバーが綺麗です。カバーをして本棚にしまえる点が良い。年号と曜日は自分で記入する必要があるけれど、私は手間に感じません。これまで他社の10年日記をつけていましたが、大きい分重くて、ちょっと別の部屋で書こうと思っても億劫でした。本棚にも入らなかったので、目につかない奥の方へしまいこんでしまっていました。これからは、5年日記を2冊3冊と本棚に並べていきたいと考えてます。旅先にも持って行けるサイズなので嬉しいです。買って正解でした。

 

 

 

前からアプリなどで10年日記とかをつけていたんですが、なかなか続かず…。やっぱり直接書く方がいいかなと思い、初めての日記購入です。続くかどうかもわからないので3年日記とどちらにしようか迷いましたが、行数が少ない方が続くかなと思い、思い切って5年日記にしました。さすが1000年ペーパー。 書きやすいです。まだ1週間ぐらいですが、数行書く程度なので、楽しく続けられています♪

 

 

 

5年日記としては記入欄のサイズも使いやすいく、年頭や年末の所感欄も活用できそうです。年半ばから3ヵ月続けており、購入前の今年の部分も、手帳を見ながら、印象的なイベントや所感などをさかのぼって追記しています。私は漢字をスマホ等で検索してしまうので、常用漢字表はほとんど使っていません。万年カレンダーなんかついていたら使えるかな? 今回は年半ばの日記購入で、書店の店頭でなかなか見当たらなかった中、いつでも安く購入できるAmazonのサービスは本当に便利です。

 

 

 

 

 

 

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何気ない毎日を記念日だと思える日が、あなたにもいつか訪れますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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※ 本文の一部はAmazonの本文中リンクから引用し、文意に支障のない範囲で改変を加えています。

※本文中で紹介した商品及びAmazonと筆者は一切関係がありません。

 

 

 

疲れっぴピヨピヨ丸(@soft_blanket101)

《10月企画》冬の足音




どうも。タイトル通り10月企画です。


えっ?もう10月過ぎてる?


え〜うそやん〜〜またまた〜〜〜

















大変申し訳ありません。

まだ余裕のあった10月の前半、安易な気持ちで参加を表明した後、忙しくてTwitterをログアウトしたまま今日に至りました。





企画を受けてから記念日についてぼんやり考えてました。恋人との記念日?誕生日?初めて何かをできた日?何がいいのかなって。




















でも私気づいたんです。










































何気ない毎日、同じように感じる毎日、そんな中でも確実に変化はあって、毎日が記念日なんじゃないかなって……☆






















どうですかこの中身の無さに無駄なスクロール。ムカつきますよね。私もムカつきました。










今回の企画はうまくいえないひとたちの記念日と掛けてでしたね。


2年経っても私はまだうまくいえません。


できれば横にいて欲しくて

どこにも行って欲しくなくて

僕の事だけをずっと考えていて欲しい

でもこんな事を伝えたら格好悪いし

長くなるだけだからまとめるよ

君が好きだ


って歌うback numberくらいうまくいえません。










いつか私にも、みなさんにも、うまくいえるひと記念日が生まれる日がくることを願っています。






記事のタイトルが内容と関係ないし、大遅刻という悪魔の所業をした あ(@anchanRM)




《10月企画》今日です。

 

 

怒涛の1年でほぼなにも更新できていなかった管理人です。


あっという間に誕生日がきてすぎてしまったね。

 

いつも見てくださっているみなさん、いつも感謝しております。どうもありがとうございます。引き続きどうぞよければよろしくお願いします。

 

 

 

 

 


前の方の話に似せるわけではなかったんですが、わたしも「住まいを移す」という話をしたいとおもいます。

 


今の家に越す前は大学の寮にいて、そこで夜な夜なクッキーの生地を作り、こね、冷まして焼くという過程のすべてにツイキャスが付されていました。
いま考えると寮なのによくやったな。


そこでだんだんと、ツイキャスがどうしても時間関係なくいつでもやりたい!という気持ちが高まったわけでもないんですが、寮暮らしに限界を感じて今の家に一人暮らしをはじめました。

 

 


バストイレ一緒のIHコンロがひとつ。
もともと押し入れだったらしいクローゼットと、なぜか妙におしゃれな天井照明器具。
約17㎡の一人暮らしには少し狭い広さで。
そういや管理会社の方が入居時に管理費を2000円まけてくれたこともありました。
月々の支払いが32000円の、なんてことのないワンルームがわたしだけの世界でした。

 

 


この部屋で何度鍋をし、何度ツイキャスをし、何度夜遅くまで電話をし、何度ホラゲー実況を垂れ流しにしていたことだろうとかんがえると、かなり感慨深いものがあります。


煙草を部屋で吸って毛を燃やすキャスもしたし、横浜くん(昔からわたしを知る方達はおなじみのアレです)にフラれてわんわん泣きながらみんなに慰めてもらったこともありました。ガールズバーで働きはじめてストーカーされたこともありましたね。あと直近だとわたしの住んでいた市だけ停電になって、水道も流れなくなったことがありました。なんか思い起こすとたくさんあるね…
※横浜くんというのは大学時代に初めてできた彼氏で、初めて横浜に連れてってもらったので横浜くんと呼んでいました。

 

 


男も女も関係なくいろんなひとを呼んで、いろんな話をして、笑ったり泣いたりがつまったこんな部屋を、実は今日明け渡してきました。

 

 


これから住むところはルームシェアなので、詳しいことは相手のためにも話せないのですが、今まで通りお部屋でツイキャスしたり、煙草で毛を燃やしたりはできなそうです。相手に嫌われないように最低限のモラルは守っていこうとおもいます…

 


先程管理会社の方に「最後空になった部屋の写真撮っていいですか」と訊いたら、「あんまり自分の部屋で写真撮らない方いいよ、へんなもん写っちゃうから…」と言われたので怖くて写真を撮っていません。
持って行き忘れた包丁×2を片手に、ジェイソンの如く部屋をあとにしました。

 

 


近くに住んでいた親友やお世話になった方達に挨拶しきれないまま出てきたことだけが心残りですが、ほんとうにお世話になりました。

 


引き続きどうぞ、このブログもわたしのツイキャスも、みていただけたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 


今回実ははじめて引っ越しを業者に頼んだのですが、値段を交渉するものだと知らずに60000円支払ったことは、ここだけの話です。

 

 

 

 

 


宕子(@hereIam397)

 

《10月企画》夢を叶えた日の孤独《記念日》

「将来絶対にこの街なんか出てやる。こんな家出てやる。東京で生活するんだ。そのためならなんだってやってやる」

私は小学生に上がる頃からそう思ってきた。


実家が嫌いなわけではなかった。

家族はそれなりに仲が良かったし、街もそれなりに生活しやすく、友達もそれなりにいた。

それでも、多少不安定な家族も、歩くには少し広すぎる街も、コミュニケーションが苦手ながらにしゃべる私と仲良くしてくれる友達も、すべて投げ捨てて東京でひとり暮らしをしたいという漠然とした思いが、家を出るまで干支一回りくらいの年月をかけて育っていた。

田舎にいた頃の私は、いつか都会に出ることだけを生きるエネルギーにしていた。

ひとり暮らしに憧れていたわけではない。

ひとりになってなにかしたかったわけでもない。

家族と離れて、この不便な田舎から離れて、ただひとりで生きていきたかった。

都会に出ることで自分の苦しみや悲しみが消えると信じていた。


ひとり暮らしをはじめることになった日を忘れることはないと思う。

あの日、実家から車に荷物を詰め込み、母の運転で寮に向かっていた。

都内にある予備校に行くことになり、そのために寮に入ることになったのだ。

実家もちょうど引っ越すことになっていて、車の中はみんなの引越し荷物であふれかえっていた。

「あんた、1年大変かもだけどがんばるのよ」涙ながらの母の言葉すらうわの空で、やっと田舎から出られるという喜びでいっぱいだった。


今考えてみれば、私にとっておそらく田舎から出ることは精神の解放のようなものだったのだ。

いつも近所の人の目を気にしたり、近所のおばちゃんがお茶に上がり込んでくるのの相手をしたり。

あたたかいコミュニケーションと言われるそれは、私にとってとても窮屈に感じられた。

いろんなイベントに行けなかったり、本の発売が遅れがちだったり、いろいろな機会を損失しているような気持ちになったし、田舎暮しがただただ嫌で、東京に異様に憧れと自由を求めた。


窮屈で、不自由で、私の大嫌いな田舎から脱出し、晴れて都会の人間になった日、私は孤独だった。

知らない街、知らない土地にただひとりで生きていくためにいる。

孤独はおそろしくも感じられたが、夢を叶えた私は幸せだった。

どこにでもほしいものを求めて飛び出していける。

ご近所の目を気にしなくていい。

むずかしいご近所づきあいもない。

ひとりで少しさみしさはあれど、生活にくるしむほどではない。

東京で生活していくなかで、どんな辛いこと苦しいことがあっても乗り越えられると信じられた。


夢と孤独を手にした夜、私はひとりで震えながら布団で丸くなっていた。

夢は叶えた。

満足して、人生の終わりであってもいいと思った。

それでも人生は続いていた。

新たな夢、目標はその時にはなく、暗闇の中にいるような感覚は、やはり孤独だった。

昼間に感じた孤独よりも、深い孤独だった。


今でも時々小学生の時の私に「あの時からずっと思い描いていた夢が現実になったよ」と心の中で話しかけることがある。

東京で1人で働く。

目標がなくても、過去の自分が目標にしていたところにいる。

それだけを心の拠り所にして生きていく。

私が小学生の頃思い描いていた夢が手の中にある現実が、とても暖かく感じられる。

あの頃の苦しみも悲しみも窮屈さも、消えたわけではない。

その時から抱えているものもまだ大きな傷として私を痛みつけるし、孤独という新しい影も背負った。

それでも私はこの孤独と幸せに生きていく。

ひとり暮らし6年目、まだ夢も目標もない。

ただ、夢を叶える前の私に恥じない私でいることが私を私たらしめている。


夢を叶えた日、孤独にふるえながら私にはその孤独すら愛おしかった。

この孤独こそ、私の夢だったと気づいた、それが私の夢が叶った日だったのだ。


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かおるん

Twitter: @kaaaaaoruuun

公園

 

 

彼らがそこに行く時は、いつも夜であった。だから彼らは、そこについて何か思い浮かべる時に一番初めに、三本のぼんやりと灯されている、曇った空に浮かぶ月のように淡い光を放つ街灯を思い出す。

 

その時には、その街灯の内一本の下に、蛙が、まるでこの公園の主であると言わんばかりに、黙ることが威厳を見せる時には有効な手段になり得ることを知っているかのようにして、そこに佇んでいた。

 

「蛙だ。」
「随分とでけえな、」
「寝てるのかな、全然鳴かない。」

 

闖入者である二人の会話だけが、静かに響いた。二人はお互いのどんな言葉も聞きもらさぬよう、あるいは伝えそびれることのないように、小さな声で話し、耳を兎のそれよろしくそばだてていた。

 

この場所は、闖入者である彼らを憎みもしないし、愛しもしない。ただひたすら彼らを受け入れる。その日の夜は星が寒天の中できらめく金箔のように浮かんでいたが、その場所から空を仰ぎみても二人の視界を埋めるのは、お互いにぶつからないようにして背を曲げている木々が頭を垂れている光景のみである。


彼らは二人に空を見させない。彼らは皆、二人に二人の姿しか見させない。
そこには二人の声と、雨に濡らされて漂う木々と土の匂いと、お喋りを決してしようとはしない蛙だけである。

 

 

 

 

 

【写真企画】意図を楽しむこと

写真を添付して文章を書くという【写真企画】である。

安請け合いしてしまったが、どうしてくれようかと考え始めて頭を抱えることになった。


なにせ僕は写真を撮らない。

ツイッターやLINEでコミュニケーションをとる上で、目の前に広がっている光景とそれについて感じたことを言葉でわかりやすく表現できないときだけ、写真を撮って載せる。

あるいは、社内の掲示板に張り出された連絡事項を手でメモする代わりに撮る。

僕にとって写真とはそういうものだ。それは写真のようで「写真」ではない。あくまで文字や言葉の代用品でしかない。


なんならこの2年くらい、どこに行っても何を見ても、できるだけ写真を撮らないようにしている。

ある日、珍しいものを前にして一斉にスマホを掲げ、画面越しに対象を覗き込んでいる人たちの群れの中にいる自分に気付き、そこで考えこんでしまったからだ。

 


誰もがカメラを常時携帯していて、無制限に撮る。撮って撮って撮りまくることができる。

カメラ越しに世界を眺める人々。目をつむり、スマホのカメラに視ることや記憶することを代行してもらっている。

スマホはすごい。今や手の代わりであり、眼の代わりであり、脳の代わりである。この機器はもはや人の身体の一部になっているといっても過言ではない。

これについては恥ずかしながら僕自身も例外ではない。無論、この文章の主題はそういった有り様について言及することではないが、これは僕の中で写真について考える一つの切り口になった。

 

かつて「写真」と呼ばれていたものは「写真ではないもの」になった。


「真を写す」と書いて写真。

 

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みなまで言うまい。

写真はデジタル化され、むしろ「偽」であることを前提とすべきものになった。

つまるところ、ほとんどの写真は「画像」になったのだ。隠すことが前提、直すことが前提、切り取ることが前提。もはやそれが一般的な認識になっていると言っていいだろう。

アナログの時代から「真を写している」というのは思い込みだったかもしれないが、それが意識されることは今より格段に少なかったはずだ。

画像を見ることの第一義が、隠されたものや切り取られて消されたものについて想像を膨らませること、あるいは焦点が合っていない部分に注目して撮影者の本意ではない部分を読み取ることになっている人も、決して少なくはないと思う。

 


たとえばこんな画像がある。借りてきた。

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「これはわたしの家にいるブルーナボンボン」という説明が付された画像。みなさんはまずどこに注目するだろうか。

 

僕はここ。

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一番左は『村上春樹河合隼雄に会いにいく』だ。

オウム事件阪神淡路大震災を契機とした様々な思索について語られている対談集。春樹が「救い」について模索していた時期の出版物だったように思う。

その隣は恩田陸の『木漏れ日に泳ぐ魚』だろう。

恥ずかしながら未読だが、今はネットでそれなりに良心的な書評を漁ることもできる。ざっくりとだが、様々な「禁忌」について考えさせられる小説だと理解した。

その隣にある「郎」と思しき漢字の記された本はなんだろう。

作家の名前だろうか。谷崎潤一郎、あるいは大江健三郎安岡章太郎か。そこまで硬派寄りじゃないな。伊坂幸太郎かも。

そんな風に想像を巡らせる。言語化するとこれだけでも結構気持ち悪い。

 

以上は極端な例かもしれないが、かつての「写真」がこのような解釈をされていたとは到底思えない。受け取る側がそうしたくとも、粗さが隠れ蓑になる。

 

もちろん「伝えようとしていないことが伝わる」というだけではない。「伝えたいことを伝える」という機能も拡張された。

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あなたの家のブルーナボンボンはこの光に満ちたブルーナボンボンですか?

 

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それともあなたの家のブルーナボンボンはこの影に覆われたブルーナボンボンですか?

 

加工の仕方によって与える印象は変わり、メッセージも変わる。受け取る側に解釈を委ねられたものより、ある方向に明確に限定されたものの方が価値を持つ。そんな時代だ。

 

ここまで書いてきた文章も、伝えたいことを伝えるための努力の産物であるし、一方で伝えようとしていないことも伝わるという意味では、画像と同じだ。なんなら、伝えたいけれど卑しさは隠したいので直接的に表現せず、わかる人にだけ伝わればいいという託し方をしてもいる。そこも同じかもしれない。

なにせ文章は頭の中そのものだと言えるし、写真だっていまや脳を代行しているものなのだから。

 

さて、適当に書き殴りながらオチを考えていたのだが、さっき思いついた。

「写真」が今こうなったからこそ、この【写真企画】は面白い試みだったのではないか。

写真自体が《企て》を前提としている中で、様々な書き手が様々な写真を添えて、文章を書いてくれた。

 

もう一度読み返し、見返そうと思う。

そこにはきっと新しい発見がある。あらゆる変化は、そうやって受け入れていこう。

 

 

ふわっふわの毛布(@soft_blanket101)